萩原高の辛口エッセイ:鳥の眼犬の眼笑鬼の眼5(2001.7.30)




入院患者を毎日観察するのも、大変興味がある。広告屋であった自分が、よく口にした言葉に
「商品に興味があると思っているのは、広告主。
 どれくらい広告を露出してくれるかは、流通 が。
 しかし、CMを視るものの、なによりもの関心は、人間です。」
「広告は、製品と人間の新しい関係創りです。」
「人間が、一番関心があるのは、他人のスキャンダル。とりわけ、羨ましいと思える人物の
 失態あり、 所詮同じレベルだと確認出来たときの安心感なのだ。」
「感動で泣くよりも、 滑稽なドジで笑いあうやつを好きになったほうがいい。」
「泣きは創れるが、笑いはこらえ切れない。」
まあ、笑いの中には、教養も家庭環境もあぶり出されるから、
学生のカップルには、いつも言ってやっているのが、「寄席をデートコースにいれてみろ」と。
だから、クライアントは、 感動型ドキュメントの60秒CMよりも、
15秒の吉本系タレントの味で、軽妙なCMを望むのだろうか。
さて、テーマを戻そう。 パジャマ姿でもう何日も過ごしている。正直、実に軽快である。
通常は、ワイシャツの胸には、身分証明書やら、クレジット・カードやら、
パスネット・カードを入れたカードケースで膨らみ、
背広の内側には、ザウルスを入れ込み、アウトポケットには電話線コードを。
腰にはドッチーモの N821iをピストルのようにベルトで固定し、
或るときには、秘かに万歩計までつけている。ズボンには、小銭だらけのウォレット。
ヒップには、2種類のハンカチと、街で受け取ったポケティッシュ。
男は、ハンドバッグを持たない分、多くのポケットに武器?を持つのだ。
ところが、入院ファッション?は、サンダルとパジャマ。
それに外来患者と接する場所へのガウンくらいなものだ。
ポケットに入れているのは、せいぜいがテレフォンカードだけである。
であるから、身体からあたかも鎧を外したような軽快さである。
おっと、また、テーマを戻そう。そのパジャマ姿でいると面 白いのは、
誰もが、同じような病気の怖れがあっての人間同士であるから、情報交換の場になるものの、
職業も身分も見えないことである。語らないままである。サウナにいる者同志のようなもの。
スキーゲレンデでのコーヒー・ショップでのような関係。
ある共通のユニフォーム姿でいる、どこか許せる関係である。
だから、推察することに、人間観察をすることで、
勝手に人物像を作り上げていくちょいとしたゲーム感覚が、大変面 白い。
新聞の読み方、テレビ番組の見方、見舞客の姿(これは、外界の関係をそのまま持ち込んでくる)
から、夫妻の何でもない会話から、生活ランクが見えてくる。
肉親の、兄弟の批評、退院後の楽しみ、ナースとの接し方、配膳や掃除の人へのひとこと、
朝の目覚めの早さなどなど、山田太一や橋田寿賀子ドラマもどきのにわかシナリオライターになる。
「スライス・オブ・ライフ」をピックアップしたり、描けなければ、
人間と製品との新しい関係づくりが見せられないからだ。
病室も外来の診察待ちの長椅子でも、人間観察には絶好の時間である。
病院のパジャマは、肩書きを消してしまう。
まだ、似た場所がどこかにあるなと思い出せないでいたが、そうだ、ゴルフ場の風呂場もそうだった、
うん、そうだった。ゴルフウエアから、普段の洋服に着替えていくにつれ、
上下関係があぶり出されて、次第に敬語の回数が増えていく。
スコアが悪いと苦虫を潰した顔が、段々と、名刺の肩書きの顔に戻っていく。
恐らく、運転手がドアを開ける頃には、スコアカードは心の中で破られているのだろう。


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