萩原高の辛口エッセイ:鳥の眼犬の眼笑鬼の眼1(2001.7.23) 追記(8/14up)



ものごとを考える。いつもと違ったことを考える。 視点を変える。換える。替える。
誰もが案外同じものを眼にしているとする。
しかし、そこから考えだすことが他人と異なるとしたら、 それは、なぜだろうか。
経験という名の時間の積み上げや、問題の濾過の結果なのだろうか。
そう、そういう眼球の「視力が鋭くなっている」のだと思う。
が、これはむしろ、視゛力゛というよりも、視゛角度゛ではないだろうか。
いわゆる「視点」の違いというやつ。 みじかな例を挙げてみる。
劇画のダイナミックな構成を思い浮かべて下さい。
あなたが「ゴルゴ」世代ならば、もう御解りでしょう。
それは、鳥の眼、人の眼、犬の眼、虫の眼と言われるものです。
あたかもクレーンに載せたカメラのズームレンズのように、
縦横に動き回って描く目線の高さの変化です。
長野オリンピックの時に、大滑降のスキーヤーを追っかけて、 ラインを移動したあの空中カメラ。
スケーターをドッグレース中継のように追尾したあのリニアモーターカーのようなカメラ。
今までに目にしたこともない視点の高さがあったはず。
車を買いたいと思うとき、貴方は、外観のシェープに左右されますか。
フロントグリルに目を奪われますか。
あのライトをいかににデザインするかによって、確かに新車の顔つきは大きく変わってもきますし、
どこかの車にも似ていってしまう。
上がり目、下がり目、猫の目、豹の目、象の目。
しかし、私は、外観をさほど気にしない。
車を買わせたいというデザインが、正面であったり、 真横であったりするのは、
これまでのデザイナーの多くが意を注いだものだった。
私は、シートと、ドライバーズ・ビューを一番気にする。速い車よりも疲れない車を選ぶ。
さほどに長距離、500キロも運転することはないものの、
東京・名古屋間は、ノンストップで走ることが多かった。
腰が疲れにくいこと。目が疲れにくいこと。シフトダウンが決まりやすいこと。
(昔のいすずべレットや初期のカローラは、あのカチカチという音が心地よかった。)
左フェンダー・コーナーがわかりやすいこと。交通情報が聞きやすい、静音であること。
(これだけは、高速巡航速度を出せない、試乗会ではわからないから困る。)
つまり、長い時間、自分が所有するポジションでの快適感を最大に重視する。
イニシャルコストもランニングコストも同じなら、「五感」が車の車種を決める。
いい換えれば、人間工学であり、人間生理学でもある。
走るのが車。しかし、走らないと判らないアドバンテージを、なぜ、紙や短いCMで、
いや、買わせようと待ちかまえているデイラーズショップで決めていけるのだろうか。
レストランで、「これ、美味い?」って聞いて、
ウエイターに「みんな美味いですよ」と答えられるようなもの。
命を委ねることになる点では同じかも知れないが、医師と患者との信頼関係とはこれまた少し違う。
運転者自身が被害者でもあり、加害者にもなる。
ドライビングポジションから車を見れば、常に目にする車のデザインは、リアデザインだ。
「日本の車って、尻のきれいなのが、なかなか無いぜ」。車好きなもう一人の友人が、吐いて捨てた。
「また、目玉の切れ込みがどこも似てきたぜ」。もう一人の友人が苦笑いした。
貴方が、買いたくなる車のデザインは、どこにありますか。
そういえば、スカイラインの丸いテールランプが消えました。


追 記
(作詞家の)松本隆が「俯瞰の視点」と題した一文を載せていた。(以下抜粋)
「(前略)ドライブしていて、大切なことは、視点だとぼくは思う。
前の車のテールランプばかり、くいいるように見ているのではなく、
ちょっと上を飛んでいる鳥の目から見たように、自分を外側から俯瞰して、客観的に見る視点。
(中略)生きていると、運転に限らず、自分の主観だけにこだわり、
だんだん視野が狭くなっていく。そういう人は目の前のことしか見えていない。
よくいう近視眼的な生き方である。(後略)」
<視点ということの考え方の重要性について、8/8日経夕刊13面 >

※失礼ながら、ここでは全文をご紹介できませんが、「視点」について関心を御持ち下さった方は
 是非この本文も御読み下さるよう御願いいたします。


過去(2001年)のエッセイを読む

その2(7/23)その3(7/30)その4(7/30)その5(7/30)

その6(8/8)その7(8/8)その8(2002.8/9)

鳥の眼犬の眼笑鬼の眼TOP  このページを閉じる    ソーホー・ジャパンのHPを訪問