もくじ

060405
横浜ロイヤルパークホテル

060406
横浜出航

060407
神戸

060408
大隅諸島

060409
バーシー海峡


060410
ルソン海峡


060411
南シナ海

060412
南シナ海2

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シンガポール入港

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シンガポール2

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アチェ・スリランカ西沖


 船内時計がさらに30分前に戻った。これで日本との時差が1時間。ボルネオのブルネイとベトナムのダナンの間、南シナ海を航走している。目覚めは楽であるが、首筋が痛い。ネックレスの跡が白くなるほどに、日焼けしている。首筋が真っ赤だ。左右の腕は、ニベアを塗りたくっているおかげでやんわりと焼けてしまった。今日からは、アロエクリームに切り替えないと首が危ない。ついついデッキゴルフに浮かれて、自分の皮膚の弱さを保護し損なっていた。徳之島でのロケで、焼けすぎて火ぶくれがひどく、メイクのスタッフに「エリザビスアーデン」の保湿クリームを毎日塗られまくった事件を思い出した。

  八点鐘コメント『南中国海のほぼ真ん中、ベトナムの東530kmを航行しています。本日、太陽が一番高くなる「南中」が12時26分、北緯12°48′。明日は12時47分で、北緯7°24′。南中に緯度は8°44′。その差1°。この時、自分の蔭が見えなくなります。憶えていて試してください。 さて、今晩、南十字星がよく見える時間は23時、進行方向から左に40°、高さ17°の上に見えます。天気は晴れ、速力20ノット、南南東の風7m、波の高さ1m、外気温28℃、海水温度29.2℃』

  海水温度を気にする人がいる。プールで泳ぐ人だ。毎回、プールには、航行する海域の潮水を汲み上げて満たしているからだ。船内にいながらにして、同じ海の中を泳いでいることになる。

  気温は28℃になってきた。工藤、松田、高嵜のオセアニア戦を経験した3人は、ぬかりなくペットボトル持参だった。塚田キャプテンや松田さんがかぶっているように、首を隠すキャップを、やはり日本で買ってくるべきだった。通販で何度となく目にしているのだが、買うどうかを迷っていた。便宜的にミニタオルを帽子に挟んで出た。旧帝国日本軍の南方部隊のようだ。
  床面のコンディションは、凪いでいるので、上下動はないが、湿気が多いので、滑りは昨日よりも悪い。デッキゴルフには昨夜、お誘いしておいた蜂谷さんと中島さんが新しく参加した。10名でスタート。初めてだという中島さんの距離感がいい。訊くと、ゲートボールの全国大会出場の経験者だった。
  工藤、高嵜、菅井、中島、萩原という白組。今日はスタートホールを誰よりも先に、一番で抜け出したが、途中2番ホールでのショットパットミスをしたばかりに、赤組にコートの外に弾き出され、足止めされた。遅れに遅れた。5番ホールを終え、ゴールに向かったときは、自軍すべてが上がってしまった。赤組の3人を相手に孤軍奮闘。幸いにも敵を交わし、自力でホールアウトして逃げ切れた。これで、通算2勝1敗。

  11時に勝負がついたので、フィットネスコーナーに出掛ける時間が出来た。7階のウオーカーマシーンで20分、汗をかいた。

  「モンサンミッシェルを申し込んできたわ」麻雀教室に出かけていた妻が、満面笑みで帰ってきた。3年前は諸々の事情で、行かせられなかったので今回は迷っていた。後悔しないようにすれば、と言い置いていたので、キャンセル待ちを承知で申し込んだのだろう。このツアーは定数制限ではなく、途中泊のホテルの部屋が取れたら受け付けるというのが、裏の事情だった。菅井美子さんを誘うつもりだと。
  書き込んだ入国書類を「瑞穂」の入り口で待つスタッフに手渡し、昼食は木島夫妻、山縣夫妻と同じテーブルになった。どちらも、僕の航海日誌を読んでくれていた方で、本の購入者と、ネットの読者である。船の中では、木島光一さんは麻雀を、山縣千津子さんはダンスを楽しんでいる。木島桂子さんは、本を持ち込んでいるからと、本へのサインを頼まれた。恐縮してしまった。有り難く、二人して書かせてもらうことにした。

  午後から、妻は鎌田先生のアートクラフト「刺し子」教室に出かけた。僕は、6階のスカイデッキで「シャッフルボード」ゲームに参加した。これも、クルーズでなければ体験できにくいスポーツの一つである。パンフレットでは目にするが、にっぽん丸のデッキで体験するのは初めてになる。通常は、ウッドデッキの上に、点数を描いた三角形があるのだが、にっぽん丸は印刷された長い帯状のフェルトを敷いて遊ぶようだ。5人1組で6グループができた。30名も参加者がいたことになる。
  得点方法は、あの「カーリング」そのものである。ストーンの代わりがプラスティックの円盤、それをモップ状のY字型スティックに挟んで一気に押し出す。円盤が滑らせて、加点できる数字の枠に止めればいいわけだが、ちょっとの力加減で、逆転劇が生まれる。敵の円盤をマットから弾き出したり、マイナス数字の枠内に追いやるのだ。1人にワンプッシュしか機会が与えられない。単純だが、面白い。
  「モップのかけ方を知っているから、ウチは強いよ」
  「長い廊下があるんでしょうね、その上手さ」
  「マンションの廊下までは掃除しないからねえ」
  「カーリングより軽いけど、こういうの、押しの一手っていうんでしょ」
  「最後に相手にマイナス点をつけられる、この逆転劇が堪らないね」
  日本中を沸かせたカーリングに似ているせいか、シニアの奥様方も、嬌声をあげて楽しんだ。2戦目までは巧く10点を出せた。準優勝決定戦に残ったが、最後に僕が、敵の円盤を加点させる枠に押し込んでしまった。10点の塩を敵に送って敗れた。どうやら、カーリング熱は、亜熱帯の洋上でも沸騰しそうだ。

  真一文字に引かれた水平線の上に、入道雲が見えている。日本の桜シーズンから、いっきに夏休みのシーズンに入り込んだのだ。カレンダーが3枚もめくれた。
  部屋のテレビ、NHKBSの「海外安全情報」が、再び身近なニュースと思えるようになった。3年前に寄港したサンクト・ペテルブルグでは、アフリカからの留学生がスキンヘッドグループに銃撃される事件があったそうだ。あのヒットラー誕生日である4月20日前後に、外国人排斥運動がしばしば起きていると観光客に注意を呼びかけていた。
  関東に地震が起きたようだ。房総半島沖に17時46分に発生した地震を震度3と伝えていた。鹿児島の佐多岬で船舶が鯨に衝突されたというニュースもあった。鯨と言えば、あの8日、ウエルカムディナーが始まる18時頃に、鯨が現れたそうだ。操舵室でも、10頭余りのイルカの大群を目撃したが、船内放送は見合わせたという。これからは、イルカだ、鯨だと、操舵室からのアナウンスで、船客が右舷、左舷を走り回ることになる。

  今夕の食事は、和田希公子さんの誕生日席に我々夫婦が招かれた。彼女とは、セント・アンドリュースでのゴルフ・パートナーだった。同席者には、神戸の大谷利子さんと伊豆大室山の野村道子さん、それに横浜の打田敏一氏、神戸の川口夫妻、そして内山コンサルジュが揃った。彼女を「ゆたか倶楽部」に紹介して以来、にっぽん丸の常連客になり、既に10回目のクルーズを数える。希公子さんは和服で登場した。
  野村さん曰く「ご主人からの誕生日プレゼントは、独り気ままなワールドクルーズだったのね」巧い言葉を贈った。妻はこの日のために手作りした布の薔薇を3輪プレゼントした。
  川口さんが内山さんに質問した。
  「今回は、乗船客の名簿を出さないのですか?」
  この質問は、誰もが訊きたかったことのようだった。
  「無いので、不便している」
  「なかなか名前が覚えきれない」
  「インフォメーションでは、フルネームでないと、ルームナンバーも電話番号も教えてくれないのよ」
  答えは案の定、個人情報保護法案のせいだった。自分たちで記憶するしか方法はない。人の名前を記憶する術は、25年間の大学、12年間の専門学校で会得しているつもりだ。渾名を頭の中で付けること、同じ名前の知人を重ねてしまうこと。しかも、デジカメでスナップを撮っておくか、似顔絵を描いておく。これで大体、2週間後には70%言い当てられる。ところが、船客の名前が記憶から外れるのは、ご主人を覚えても、奥様まではなかなか言い当てられないことだ。それは、男女の仲には、特定の共通因子がないからである。「たで食う虫も・・・」という理由も一つではあるが、なんと言っても奥様の衣装が目まぐるしく替わってくると、お手上げである。連想が働かない。だが、先方は、こちらににこにこ手を振る。僕が髭を付けているからか、憶えてもらいやすいのだ。
  和田希公子さんがこれほどに乗船機会を多くしているのは、もしかしてら、彼女が経営する老人ホームの情報収集と顧客誘致を兼ねているからではないだろうか。趣味と実益が合致した、堂々とした「出張」ではないかと。そういう名目を与えてもよさそうだからだ。 誕生日会の記念写真を撮った。それから、ドルフィンホールへ向かった。東さんのスライドショー「私のワールドクルーズ」がある。
  ステージの中央にテーブルを囲んで司会と東さんが座る。適宜、司会者の質問に答えた後に、東さんの言葉で、ゆっくりと語り出した。準備原稿を書いた上だとはいうものの、さすがに話の運びが上手い。しかも、東さんの人柄がにじみ出た独特の優しい語り口だ。寄港地の美しい映像から動物、人間へと代わり、一転して、スポーツデッキでの体操風景が映し出された。多くの船客が朝の陽を浴びている。
  「今朝の写真です」 場内がざわめく。
  「貴方はどこにいらっしゃいますか?」と観客に呼びかけ、一呼吸置いて「・・・これを明日、日本に送信します。モパスのHPにアップします。お元気な姿をお孫さんたちが見られますように」
  心憎い演出だった。 当初の船長との対談予定が変更になったようだが、上達也ばりに、東さんのペースで語れたのは、返って良かったと思った。“シネ・ディスクジョッキー”とでも言いたいほどの時間が流れた。お疲れ様。
  終わって、和田希公子さんたちは、5階のネプチューンバーに繰り出したようだが、我々は体力温存のため、失礼した。部屋に戻ってパジャマに着替えてしまった。
  弱1週間、想えば、未だ一度も、カジノにも、ダンスにも、バーにも、夜食にも行っていない。
  妻が言う。「リピーターの気分って、ほんとに、ゆったりできるのね、船旅のゆったりさって、一度では駄目だったね」と、満足げ。今夜も、ベッドに潜り込んだら、本も読まないままに眠っていた。


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