もくじ

060405
横浜ロイヤルパークホテル

060406
横浜出航

060407
神戸

060408
大隅諸島

060409
バーシー海峡


060410
ルソン海峡


060411
南シナ海

060412
南シナ海2

060413
シンガポール入港

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シンガポール2

060415
アチェ・スリランカ西沖

 船内時計は、前日より30分前に戻っている。だから、楽に寝覚めることができた。
  「ポート&スターボード」(船内新聞)が毎晩、ドアーの下から差し込まれる。この中に、なんと「ドレスコード日程表」が別刷で入っていた。3年前にはなかったことだ。僕の航海日誌には、たしか、ドレスコードについての情報が不足していることを書いておいた。
  ドレスコードの回数は予め知らされているが、その日程は、毎回船内新聞を見て知ることになる。これは、女性に対して極めて不親切というものだ。女性にしてみれば、和服の折り皺直しもあるだろうし、なにかとクリーニングの日程調整もあろう、アクセサリーの配分、または寄港地での購入などなど、気を遣うことが多いはず。こうしたことは、事前に船客に知らされているべきことではないか、と。
  「ドレスコード日程表」が、第1回フォーマルデー直後に出たのだ。改善された。こうした気配りは喜ばしいことである。

  8時、2階のレストラン「瑞穂」に向かう。朝食は洋食バイキングとしている。洋食のテーブルは、1段下がったセンターの席になり、その外周が、和食テーブル。和食の席では、白飯か、お粥かを伝えると、お膳に乗った和食が運ばれてくる。テーブルの上には、海苔と納豆が、事前に数個置かれてある。
  ところが、今朝は、既に洋食席が満席で、入り口横の和食席になった。飛鳥はいつも「2回食制」だそうだが、今回は、にっぽん丸でも「2回食制」になるとされていた。それがなんとか、「1回食制」で行けそうだという。飛鳥では、一度前後の時間に分かれると、船客同士がなかなか会う機会を失うのだと義妹から聞いた。「1回食制」のほうが、互いに顔あわせを増やせるメリットがある。座れるのなら、満席でいいのだ。ちょっとした工夫をすればいい。ラッシュアワーを時間差でずらすことだ。今朝は8時に来てしまったのだから仕方がない。八点鐘のコメントが流れている間は、誰もがそれを聴き終わるまで席を立たないからだ。従って、八点鐘コメントの終わった時間が、ここでいうところの時間差である。今後は、昔通り、「遅よう組」になろう。
  『湖のような素晴らしい海です。昨晩から今朝にかけて、バシー海峡を通り抜けて、南中国海に入ってきました。ルソン島の北西端沖を航行中です。世界一周クルーズは、海のベストシーズンを縫ってプランされています。インド洋が静かな4月。ヨーロッパ、カリブ海がベストな5,6月。メキシコ湾辺りの荒れる6月後半は、既にパナマを抜けております。アラスカ、アリューシャンは6,7月が最適という具合です。海が一番荒れるのは、実は日本近海です。ここを穏やかに通過できたのは、幸先が良いのです。
  ところで、1海里1.852kmです。忘れたら、カレンダーの1日から、下に下一桁だけを読んで、1,8,5,2と思い出してください。天気は晴れ、速力18.5ノット、南東の風、8m、波の高さ1m。外気温26.5℃、海水温度27.6℃』

  菅井夫妻が追いかけてきたようにして座った。荘輔さんは、早朝のウオーキング後に、展望風呂に浸かってきている。彼らの朝食は、和食と決めていて、3年前のクルーズでは、一度もパンを口にしなかったらしい。僕は初日からオートミールだ。今のところ、欠かさず出されているのが嬉しい。焼きたてのパンをまだ食べていないくらいだ。前回と変わったことと言えば、二人のシェフが客の前で好みのオムレツを作ってくれていることだ。熱源は、電磁調理器。頼んでみたが、なんともオムレツが小振りすぎる。出来上がりを待って食べるほどの量ではない。しかし、二人前を、とは言い難い空気だ。この一口オムレツ、僕には物足りない。

  9時。デッキゴルフに今朝も、新しい人が加わった。女性のOさんと藤永夫妻である。これで総勢12人となった。パックの番号が足りない。スタッフの蘇くんが、ガムテープを貼って、番号を書き加え、田実くんが審判をしてくれる。5ホールをホールアウトさせるには、1回戦が限度だな、高嵜さんの目がそう言っている。今日は、1回のみとして、全員をゴールさせた組が勝ちと取り決めた。
  10時を過ぎたところで、他のカルチャー教室と重なっている人が抜けていった。ゲームは、やはり、時間切れでドローとなった。パックを増やしただけに、打順が回って来ない。時間を食った。
  デッキゴルフのいい点は、男性でも女性でもさほどの体力が要らないこと。女性にとっては大型おはじき、男性にはビリヤードやゴルフと似た点がある。高齢者の方には、ゲートボールのつもりで、若い人には、さしずめ陸上ホッケーであろう。さらには、乗船した時だけにしかできないゲームである点だ。つまり、陸に上がってしまったら、誰も練習ができないのだ。これが、ゲーム経験に差が出にくいことである。にっぽん丸を国内外連続で乗る人には敵わないのだが、概ね、巧打者は、おのずと長期クルーズ経験者になる。
  会社人間が接待費で腕を磨いたゴルフや麻雀、囲碁将棋と違って、このデッキゴルフは、多くが初心者であることから、和気藹々になれる。乗船客といえども、飛鳥やぱしび(はしふぃっくびーなす)では、このデッキゴルフのゲームはできないのだ。
  04年度のにっぽん丸、40余日のオセアニア・クルーズでは、03年からの連続組、高嵜さん、松田さんが同乗して、更に塚田、本田両キャプテンが乗り込んでいたので、毎日かなりエキサイトしたゲーム展開だったと、風の便りで聞いた。
  3年前のデッキゴルフは、パナマ運河を抜けてから参加したのだが、今回は神戸を出た途端に始めたのだ。毎朝続けて何処まで体力が持つだろうか、と考える。今回は何回マッサージに通うのだろうか。いやいやマッサージに通う回数を極力減らしたい。インドメタシン1%ゲルのチューブを何本も買ってきた。なにしろ、今回は、節約クルーズを心がけねばならないからだ。

  13時30分、第1回の入国説明会とツアー説明会が4階のドルフィンホールで開かれた。出入国カードを受け取るために全員が出席である。
  これまでと違った点は、オプショナルツアー代金が、船客からの要望もあり、前日までなら、現金(ドル、ユーロ)支払いが出来るようになったことだった。

  終了したところで、「ラシン」の鈴木さんたちが、我々の船室を撮影にきた。「リピーターの工夫したクルーズ・グッツ」と言った狙いだという。部屋の至る所に強力な新型マグネットや、持ち込んだブックエンド、新たに購入したマイナスイオン発生の加湿器がある。そして、便利な「どこでもテーブル」に「背当てクッション」。それに、100日分のミニポッカレモン。これらが、他の船客と違う点か。ベッドの下、ソファーの下のスペースをどう使っているか、壁にある家族の写真までも、カメラマンは、キャビンの隅々にフラッシュを焚いて帰って行った。シンガポールで下船して日本ですぐ編集作業に入るという。発行は、5月号に該当するという。自分たちは帰国してからとなるが楽しみにしておこう。息子たちにはメールで知らせておくか。

  日本のVISAサービスセンター、庄司さんから電話が入った。緊急時の再発行カードが、4月11日、シンガポール着の予定であるという。但し、5月末の期限であるから、時期が来たら、二度目の再発行をいずれ、フランス辺りから電話申請しなければならない。
  シンガポールの代理人はMr.GOHと言う。長男と同じ名前だが、英語しか話せない現地人だと判った。以降の問い合わせには、特定のID番号で一括認定されるとのこと。再発行カードを受け取ったら、速やかに日本のVISAセンターに報告することになっている。

  高嵜さんから電話があった。今回のデッキゴルファーの名簿を創ってくれている。その問い合わせだった。
  まだ、アフタヌーンティも飲みに行っていない。エアロサイクルも漕いでいない。その分、毎朝昼食直前まで、デッキゴルフが続いている。徐々に、頬と腕が日焼けしてきた。いきなりの日焼けは、僕の肌が火傷のようになる。じりじりとゆっくり焼いていくのがいい。
  窓外には、快晴の空と群青色の海面をくっきり切った水平線が眺められる。書き割り(絵の具で描いた舞台装置の背景)のような遠景だ。白波が切っている水面を見ない限り、船は止まっていると感じる。それほど、水面は穏やか。
 
  入国書類にサインをしたり、パソコンを叩いたりしているうちに、夕食の時間が迫ってきた。
  案内されたのは、工藤夫妻のテーブルだった。菅井夫妻は何処かと眺めると、これまた高嵜夫妻が座っていた。互いに、デッキゴルフ仲間同士が期せずして同席しているのだ。工藤さんから、ピースボートの乗船体験を聞かされた。ピースボートのトパーズ号は、今回、アカデミアの反町を乗せて同じ横浜から一日前に出航した。
  「スイートルームに部屋を取ったが、600万円以上もして、にっぽん丸よりも返って高うついたで」と、肩を叩いて大笑いされた。
  「船内の食事は、ウサギも嫌がるほどに、ニンジンが毎日出されたわ。若い独り者たちは、食事に異を唱えるものは、おらんかったはずや、なんせ、自分たちで収穫したご飯は食べ放題、野菜サラダは、どんぶり状のてんこ盛りもオーケー。居酒屋は、有料だが、酒のつまみは、ぎょうさんあった。ただ、雨漏りの部屋があるほどに、船が古い。せやから、床が濡れていることで、転倒する怪我人が多く出てた。ショーはないがな、若いモンが何でも特技を披露できる環境で、この自給自足が旅行代を割り引くことになるので、みんな出たがり屋になっていく。楽しいで。ただ、苦しいことあんねん。帰港時間に間に合わなかった者は、冷たくスーツケースを岸壁に投げ出されるんやわ。停泊係留時間がオーバーすることは、最大の犯罪で、ピースボートの財政を痛く圧迫することになる。このお仕置きのために、冷たい処置がとられるのだそうだ。なんらかの方法で、船を追いかけてくるなら、必要金額は貸し与えるそうや。こっから、サバイバルなトリップが始まるわけや。日時が巧く計算できとれば、次の寄港地で乗り込めるんだが、思うような交通手段がなければ、な、現地の案内人と頭の体操になるで。外地で、精神的にも、ごっつう強なるわ」
  ゼミ生だった青木理保子も会社を辞めて乗った。独立心が強くなった。今回のアカデミアの生徒、反町俊洋も、逞しく変わって来るのだろうか。
  04年のピースボートに乗った青木理保子は、ブエノスアイレス(アルゼンチン)から、ブンタアレナス(チリー)まで女友達数人と陸上トリップをしたというが、まさか、この乗り遅れ組ではなかっただろうな?
 
  工藤さんの話し方は面白い。楽しく食事が終わったところで、メインショーやカジノに行かないかと誘われたが、一旦部屋に戻ったら、眠気が襲ってきた。デッキゴルフの運動量よりも、全身に紫外線を浴びていることが、疲労感を高めているのだろうか。旅はまだまだ序の口である。デッキゴルフ以外は、ペースダウンしておこう。衛星テレビを見る気力も、買い込んできた週刊誌を見ることもなく、横になった。明日の10時は、またデッキゴルフだ。



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