萩原 高(はぎわら たかし)プロフィール

最終更新日:2009.6.22

(株)ソーホー・ジャパン顧問。
(株)ネクストマジック取締役。

現在に至る。

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【別項】

“ 広告の力は、市場のどこにテコを置くかに拠る”と考え、“社会性を帯びた視点で表現する”ことだった。また、クライアントとの関係は“小さく産んで、大きく育てる”(低予算・ローカルエリアから、マルチメディア・ナショナルブランドへと成長させるマーケットデザインすること)を信条とした。関東以北支社担当責任CDとして、仙台支社、札幌支社業務を支援し、後に盛岡博報堂を、また九州支社・新潟支社の特定広告主を担当したことと、2度の名古屋支社着任の各地でそれは実践された。鉛筆、児童劇団から、車、コンピューターまで(生保、タイヤを除き)広範囲な全業種を担当した。国内外の受賞、講演数多。
氏は、また、立体的なスペースデザインにも興味があり、ネーミングから店舗リフォームまで要請され、リニュウアルした経験を持つ。池袋要町で、洋酒バー「タック坊主」を、六本木竜土町に東京で初の焼酎バー「O2」を、名古屋では、餃子専門店「地安門」をオープンさせた。熱海の自宅は、傾斜地に変形3階建ての自宅をデザインもした。

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社会的に影響を与えた主な広告戦略事例

■ポッカレモン

「ポッカレモン」の食卓調味料を飲料分野へカテゴリーシフトを提案。ビタミンC飲料「ハニーポッカ」を発売して健康飲料という新市場を創る。その後の同社は主力分野を飲料に置き、自販機開発導入を積極的に展開し、ホット「缶 コーヒー」市場を創り、大手飲料メーカーの一角となった。

■フロム・エー

リクルート社求人情報誌「フロム・エー」を創刊プロジェクト時から担当。広告表現からイベント、番組企画、企業ブランド戦略まで構築。 苦学生用語だった「アルバイト」という概念を壊し、新しく「フリーター」という社会的職分を認識定着させる基盤を創った。その後の「カーセンサー」「エービーロード」「じゃまーる」「ガテン」の創刊起爆剤となった。

■スーパードライ

アサヒビール「スーパードライ」を担当。新製品市場導入戦略を構築した。当初関東地域での販売であったが、GW以降に関西市場にも拡大。4年間の広告表現戦略実施で既成のビール市場を攻め、今日のスーパードライ・ブランドのトーンマナーを築き、トップブランドへの市場基盤を創った。

■アロンアルファ

東亜合成アロンアルファの効能効果を示そうと、ノーカット・デモンストレーションCMを展開。CM映像の持つ強みから、海外3大賞の常勝受賞プロダクツとなり、世界市場から多くの信頼も得て今日に至っている。

■名古屋グランパスエイト

戦略担当。従来の赤白黄色のユニフォームを、シンプルなレッド強調のチームカラーに変更し、ニックネームを「赤鯱軍団 と提案採用。メンバー補強を伴って、新しい意欲をみなぎらせたチームは、翌年正月に天皇杯を奪取した。

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主たる執筆掲載

「萩原高のTVCM時評」

4〜6P(1977年)1年間連載 広告専門雑誌「ブレーン」(誠文堂新光社 当時)

「タイガーズアイの広告戦略」

4P(1987年)1年間連載 広告専門雑誌「コマーシャルフォト」(玄光社)

COMPETITIVE MARKET SEMINAR「戦略新時代」

4P(1988~90年)2年間連載 広告専門雑誌「コマーシャルフォト」(玄光社)

TV番組評コラム「波潮」

(1993年)3ケ月間執筆 中部日本新聞 朝刊TV欄

「どうしても気になるテレビCMのあの曲」「業界インサイド・ストーリー CM業界師弟対談」

(2005年)(宝島MOOK)

「思い切って二人で世界一周の船旅」

426p(2005年)(あいであ・らいふ 刊)

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