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「お客さんは沖縄が一番いい時に来たよね」
長くて狭い坂をすべるように走るタクシーの中で
運転手に言われた。
雑踏が道に溢れはじめ、ついに渋滞に巻き込まれる。
ここは沖縄市嘉手納基地のゲート通りの入り口。
「昔はアメリカの兵隊で街はいつもお祭り騒ぎさ。それが今はめっきり減ってしまったさ」と運転手。
コザ(現沖縄市)は1945年の9月15日に、
米軍の指令により「胡差市(コザ)」になった。
その後、胡差市は米軍相手の商業を中心に発展し、
1956年の7月に「コザ市」に変わり、
現在は沖縄市と名前を変えている。
活気がなくなったとは言え、
今でも嘉手納基地は 4,000m級の滑走路2本を有し、
200機近くの軍用機が常駐する極東最大の
空軍基地であることは間違いない。
その面積は東京の品川区にほぼ匹敵する。
私が向かっているのは「沖縄市コザ運動公園」。
そこでは今年で50周年を迎える
「沖縄全島エイサー祭り」が開かれていた。
毎年20万人の人であふれる祭典のラストを、
私はどうしても目に焼き付けておきたかった。
あなたはエイサーをご存知だろうか?
エイサーは、旧暦の7月15日にあたる
旧盆の先祖をお送りする日(沖縄ではウークイという)の夜、青年男女が集落内を踊り巡り、各家の無病息災、
家内安全、繁盛を祈り、祖先の霊を供養する行事。
勇壮な太鼓のリズムが腹に響き、
体中が何かのエネルギーが駆け巡るかのように
カッと熱くなる。
エイサーを見ていると、文字通り私は血が騒ぐ。
私とエイサーの出会いは、15年前にさかのぼる。
実は私の父は、心臓手術の失敗で15年前に他界した。
当時私は会社を創業したばかりで、
私は父の死に目に会えなかった。 父とはよく衝突もした。
警察官だった父は、大変厳格な父親だった。
私みたいに社会からドロップアウトしたような生き方は
許せなかったのだろう。
病院から霊柩車で運ばれる父の亡骸。
仏間で安置された無言の父親の横で、
私は一晩一緒に過ごした。
放蕩を繰り返した私は、
父親に対して申し訳ない気持ちで一杯だったからだ。
父との思い出が次から次へと交錯するが、
対立している思い出しか蘇ってこない。
私はいてもたってもいられずに、
父のデスマスクにキスをした。 そして心から詫びた…。
私の気持ちは通じることもなく、
無念の涙がとどまることがなかった。
何か言ってほしくても、亡骸は無言のままだ。
その夜、夢枕にたってくれるかと思ったが、
父は夢枕に立つことがなかった。
喪が明けて 私は沖縄の久米島に旅に出た。
偶然、そこでは村の小さな小学校でエイサーの舞が
勇壮に繰り広げられていた。
私は一瞬にして虜になってしまった。
時代をタイムスリップしたかのような錯覚、
何よりも体中の血が騒ぎ、
その場に釘付けになってしまった。
そしてその晩、初めて父が夢枕に立ったのだ…。
日本人とアメリカ人がごった返す会場で
私はそんなことを思い出していた。
隣では若い空軍将校が二人、葉巻をくゆらせ、
時々奇声を上げる。
先の沖縄戦では20万人もの人の尊い命が奪われた。
極東最大の軍事基地の目の前で、
祖先の霊を供養する行事が
これほどまでに壮大で繰り広げられていることを
彼らは知らないかもしれない。
「平和を願い、先祖の御霊を供養することを…」
事実、エイサー全島祭りの4日前の8月24日、
米空軍嘉手納基地は、何の予告もなく
嘉手納町役場のフェンス越しに
GBS(地上爆発模擬装置)を炸裂させた。
突然の爆発音や煙は、
まるでテロでも起きたかのような様相で、
町民を恐怖の淵に追いやったという。
エイサーの舞が一段と勇壮になり、
沖縄の南国の空に向かい、
様々な思いと歓声が昇華していく。
目の前の現実をしっかりと受け入れながら
改めて平和を願う。
静かに私の血が騒ぎ始めた。 |
●過去のエッセイを読む●
#1 自立を考える
#2「山笠」で心打たれた理由
#3 感性を研ぐ〜惰眠を貪るな 広島上空で想ったこと
#4 西表に向かう船上にて 沖縄を思う(1)
#5 沖縄でゴミ問題を想う 〜西表島
#6 宮古島で想う
#7 広島で想う〜覚醒から行動へ
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