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一瞬にして14万7千人もの人々の日常を
奪い去っていった、あの8月6日。
秋葉忠利、広島市長が発する平和宣言には、
毎年唸らされる一節が多い。
そこに小泉首相が参列していても、
ストレートに日本政府に対して「誠」をぶつける。
瞼を深く閉じて、全身全霊で受け止めるような
小泉首相の表情が印象に残る。
秋葉市長の平和宣言は、こんな風に始まった。
「被爆60周年の8月6日、30万を越える原爆犠牲者の御霊(みたま)と生き残った私たちが幽明(ゆうめい)の界(さかい)を越え、あの日を振り返る慟哭(どうこく)の刻(とき)を迎えました。それは、核兵器廃絶と世界平和実現のため、ひたすら努力し続けた被爆者の志を受け継ぎ、私たち自身が果
たすべき責任に目覚め、行動に移す決意をする、継承と目覚め、決意の刻(とき)でもあります」と…。
戦後60年を迎え、あの大戦が追体験に変わっていく今、
どうしてもあの秋葉市長の肉声を確かめたかった私は
平和記念式典の人混みの中にのまれていた。
秋葉市長が続ける。
「その主旋律は、『こんな思いを、他(ほか)の誰(だれ)にもさせてはならない』という被爆者の声であり、宗教や法律が揃(そろ)って説く『汝(なんじ)殺すなかれ』です。
未来世代への責務として、私たちはこの真理を、なかんずく「子どもを殺すなかれ」を、国家や宗教を超える人類最優先の公理として確立する必要があります」と…。
テニアンから飛び立ったB29戦略爆撃機エノラゲイは、
上空から分かりやすいという理由で
T字型の相生橋を投下目標にしたという。
今年初めて知ったことだが、その相生橋のすぐ横には
国民学校(今の本川小学校)が位置していた。
多くの痛ましい遺品を平和記念館では目にするが、
私は、炭化したごはんが入ったアルマイトの
小さな弁当箱を見ると涙が止まらなくなる。
何の事情も知らずに幼い子どもたちが
母親が作ってくれたお弁当を持って登校する弁当の中身は、
決して豊かなモノではないだろう。(焼けこげた弁当
)
梅干しや芋の煮付けが中心で、
それでもこのお弁当を持った女の子は
8時14分までは無邪気な笑顔で間違いなく生きていた。
わずか50キログラムのウラン型原子爆弾が炸裂した
8時15分。
場内に平和の鐘が鳴り響く。
犠牲者の御霊の冥福を祈り、黙祷を捧げる。
大地から、耐え難い痛みと、やり場のない大きな怒り、
そして悔しさが 足の裏から私の身体を突き刺し、
通り抜けていく。
「熱いよ」「焼ける」「やられた」「負けた」
そんな言葉がどこからか聞こえてきた。
怒りで空気は震え、悲しみが叫び声を上げる。
慟哭の刻とは対称に上空は 澄み切った夏空が広がり
とても皮肉だった。
秋葉市長は噛みしめるように言った…。
「今年の5月に開かれた核不拡散条約再検討会議で明らかになったのは、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮等の核保有国並びに核保有願望国が、世界の大多数の市民や国の声を無視し、人類を滅亡に導く危機に陥れているという事実です。これらの国々は「力は正義」を前提に、核兵器の保有を入会証とする「核クラブ」を結成し、マスコミを通
して「核兵器が貴方(あなた)を守る」という偽りの呪(まじな)いを繰り返してきました。その結果
、反論する手段を持たない多くの世界市民は「自分には何もできない」と信じさ
せられています。また、国連では、自らの我儘(わがまま)を通
せる拒否権に恃(たの)んで、世界の大多数の声を封じ込めています」と…。
自分は何もできないと、無関心を装ったときから
衰退が始まると常々私は自分に言い聞かせてきた。
力に封じ込め込められないように、状況を読み解く。
これを毎日必死で積み重ねていく。
ビジネスの世界でも考えさせられる場面が
日常茶飯事のようにある。
読み解く、そしてまた読み解く。
悪戦苦闘の私の日々も続く。
平和記念式典での啓示は、私に小さな勇気と決断をくれた。
秋葉市長が結んだ平和宣言、
私も「継承と目覚め、決意の年」としたい。
●平和宣言
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●過去のエッセイを読む●
#1 自立を考える
#2「山笠」で心打たれた理由
#3 感性を研ぐ〜惰眠を貪るな 広島上空で想ったこと
#4 西表に向かう船上にて 沖縄を思う(1)
#5 沖縄でゴミ問題を想う 〜西表島
#6 宮古島で想う
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