飛行機嫌いになってしまったカミサンと、砧の「船友」U夫妻を伴って、8月17日から再び新潟へ旅に出た。もちろん、東新潟では、「船友」S夫妻が待っていてくれた。中越地震直後から既に半年以上が経っている。

 新幹線で新潟駅から乗り継ぎである。駅員に訊くと「間に合いますかねえ」といいながら、一番奥のホームを指差す。U夫妻は、確かに我々よりもお歳だ。しかし、新幹線とのダイヤがマッチングしていないようでは、民営化も不親切だなと、急ぐ。なにしろ、この支線は、1時間に何本というほどの少なさだと聞いている。例のコロコロ引っ張る小型の旅行鞄を担ぎ上げて階段を降りた。目の前に停まっていたが、既にドアーが閉まっているではないか。やはり間に合わなかったかと諦めたら、カミサンがドアーを叩いた。開いた。辛うじて間に合ったかと中に飛び込んだ。U夫妻にドアーを開けて招き入れた。ところが発車しない。これなら走ることもなく充分間に合ったのだ。カミサンがいうには、ドアーを叩いたのではなく、ドアー横の丸いノブを叩いたという。どうやら、乗客はこれを押してドアーを開けて乗るらしいことが解った。我々4人は、大騒ぎしたことが恥ずかしくなってしゅんとした。これでは、この地に来る観光客は戸惑うなと思った。停車していてもドアーのしまった車両を前にして諦めるからだ。

 東新潟駅では、S家の御主人、荘輔さんが出迎えてくれた。八十八カ所を二十日間でお遍路さんしてきた荘輔さんの坊主頭は、もうすっかり髪の毛が整っていた。S家でテンプラうどんを昼食に頂いた。自家製の野菜テンプラだった。唐辛子のテンプラを食べた。これなら七味要らずだと2、3本を口にした。唐辛子は茄子科だと荘輔さんが教えてくれる。この刺激的な成分は、草食動物に食べられないようにするためのものらしい。

 昼食後、我々の車はまず南に下り、「新潟ふるさと村」に案内された。オシャギリが展示されていた。オシャギリというのは、毎年七夕の日、村上大祭に町中を練り歩く屋台の山車のことである。築城に使われた大八車に太鼓を載せて打ち鳴らしたのが始まりだったようだ。今では大八車よりも大きく立派なものだった。農機具や雪国の生活具のあるコーナーでは、見学者があるスポットに立ち入ると人工雪が降ってきた。誰もがそれを手に受け止めてはしゃいでいた。新潟第1号の乗用車、台車の上に乗った交通 警官、初めての洋食レストラン、イタリア亭などの写真で、新潟の歴史を頭に入れた後、車はやがて国道8号線に面 した白根市の葡萄畑の里に走り込んだ。

 池田観光果 樹園の広い敷地に何種類もの葡萄棚があった。8月下旬のシーズンは、巨峰とスチューベン、タノレットだった。他の種類にネオマスカット、赤嶺、甲斐路があると案内版に描かれてあった。棚は非常に低かった。頭を下げて、しゃがみながら進まなければ、たわわに実っている葡萄に頭が触れてしまう。山形のサクランボ狩りには、背の高い者が有利だったが、ここ葡萄園では、逆に背の低い者が歩き易いことを知った。それでも高い位 置の房は、発泡スチロールで作られた特別な下駄を履くのだ。東京で見る葡萄よりも、ずっしりとした重さを感じる程に大粒である。6人で6房でも充分な量 だった。今夜のデザートを準備したことになった。今夜は岩室温泉に宿をとってあるらしい。なにしろ、またS夫妻が練りに練ったプランにお任せであるからだ。

 夕方近くになって、白根大凧歴史館に案内された。閉館ぎりぎりだったが、東京から来た客のために時間外にもかかわらず、ショートフィルムを上映してくれた。映像は3Dだった。その上、係の女性達は、「ごゆっくり」とまで言ってくれた。我々の見終わるまで待ってくれるという。おそらく、彼女達の自己判断によるものである。こうしたホスピタリティを受けたことで、U夫妻の新潟に対する気持ちは初日で大きく変わったようだ。観光客の増減とは、案外予期しない、ちょっとした市民感覚、村民感覚の暖かさに触れたときこそ、こうした訪問者の口コミが語り種になるものである。たしか、自宅に「ちょっとしたもののいいかた」という新書判の本があるはずだが、それを思い出した。

 中之口川を挟んだ左右の町が、毎年大凧を作り、川の上で凧糸を切り合う祭りがあるのだ。凧の大きさは実に畳24枚分。凧糸は、揚げ手のところでは、腕の太さにまでなっている。目当ての凧同士がからんだら、両岸で待機した者たちが、土手の下の交通 遮断した道1本に並んで引き合う。ここにある光景は、まさに町対抗の綱引き試合である。世界最大のスケールを誇る凧合戦だという。何枚もの凧が勝負しあう。浜松の凧上げ祭りしか知らなかったが、ここでは江戸時代からの祭りであった。祭りという形になる前は、実はホントの喧嘩凧だったようだ。この川がしばしば氾濫するので、堤防改修を繰り返しては、治水を巡っての争いが絶えなかったそうで、ある日揚げた凧が対岸の農家か畑に墜落し損傷を与えたらしくそれにやり返したという対立がそもそもだったらしい。

 記念館には、世界の凧がコレクションされていて、形といい、塗り絵といい、実の面 白かった。空という高い空間に風で揚がることは、何処の国でも関心が高かったのだ。あのフランクリンも揚げたが、金の鯱城に凧で近付いた戦国時代もあった。今ではこのカイトも、音のしない攻撃型ハングライダーとして、軍事的に改良されている。幼い頃に揚げた「蝉凧」は、三河独特のものだということをここで知った。

 弥彦神社の手前の岩室温泉の宿に入った。日本在住が長いのか、外人のママが三人の子供を連れて、フロントにいた。流暢な日本語である。驚くことにその子供も日本語で喋りあっていた。明日のドライブコースを訊いていた。父親は忙しい仕事人間の日本人なのだろうか。夏休みにカミサンと子供を東京駅から見送った自分を思い出した。
 シーズンオフを狙ったので、温泉はゆったりと浸れた。宿の規模からすると思った程の大風呂ではなかった。夕食時にそれを男性陣が口にすると、女性陣は、怪訝な顔つきをした。実に大きくて気持ちがよかったと。部屋でパンフレットを開いてみると、確かに広い湯舟の写 真が目に入った。

 「こりゃあ、女性上位だよ」「いや、そうとも言えない。いま観光客の大半はミセスだからね」「ミセスの客の口コミは力があるからねえ」「ということは、料理にも力が入っているという証拠だね、ここ」男性陣は、風呂の広さでは不遇だったが、料理の味に期待しようと言うことになった。夕食の場所に案内されて、なるほど、それは当たった。女性を大事にしてくれる宿は、料理にも手を抜かない宿だということ、全員が納得しあった。

 掛け流しの本物の温泉と言うことなので、朝一番で温泉に出掛けた。昨晩の風呂と入れ替わっていた。中に入って驚いた。外光が降り注いで、八角形の風呂は広くて気持ち良い。女性客優先は解るが、こうして朝浴びに来る者でないとしたら、この気持ち良さを知らずに帰ってしまっただろうと思うと、少々複雑な気持ちになった。我々は、連泊の客であるから、時間的にも余裕があったのだ。大小の風呂を設計させた日本の大半の温泉旅館にこそ、サービスという点で問題がありはしないか。温泉旅館が新しく建造されることは、現在の経営上からみて少ないだろうが、リフォームして、リニューアルするケースはまだまだあり得る。温泉めぐりを楽しむシニア世代の台頭は、それ以外にバリアフリーの誘導パイプの設置や滑り止めが必要になるはずだ。ましてや、足腰の悪い夫婦ともなれば、互いを介助する意味でも安心できる家族風呂の増設の声が高まるかも知れない。

 そうなれば、スクリーンを増やして異なる映画を観てもらうシネマコンプレックスのように、円形を仕切った家族風呂で異なった景色を眺めさせる宿が出来ても良い。ちょうど、その形は、空港ビルから伸びたハブの様に、渓谷に突き出た家族風呂が望ましい。

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