2年ぶりに海に出た。横浜大桟橋(だいさんばし、とは言わず、おおさんばし、と言う)から、出航するのは初めてだった。 赤いファンネル(煙突)が懐かしかった。今度のにっぽん丸(22000トン)でのクルーズは、お盆の8月10日からの10日間である。ギャングウエイには、顔なじみのクルーが白い制服で並んで迎えてくれた。

「お帰りなさい」彼らは、船客にこういう。そういえば、102日間のクルーズから下船したときは、「待っています」と言ってくれた。勿論、営業言葉ではあるが、「お帰りなさい」は、いい気分だ。

7月は丸々1ヵ月、パソコンの前に座って、朝食も昼食も夕食もその横で摂っていた。2年前の航海日誌を出版する(タイトルは決った。「思い切って世界一周」、帯も、友人の高野孟さんが書いてくれた。)ために、原稿の削除と校正に、文字通 り、明け暮れていた。運動不足どころではない、雨が降って入ることも、明け方になっているのさえも知らないままに、キーボードを打っていたのだ。だから、ほんとに一気に開放されたわけだ。 しばらくは、14?の部屋が我が家になる。冷蔵庫もシャワールームもクローゼットも金庫もBSTVもある。無駄 を省きながら、機能的で実にコンパクトな設計である。新築しようとしていた船客が下船したあと、この機能性をベースに設計し直したというほどだ。ショートクルーズのため、持ち込んだ荷物も衣服も少なく、部屋はすぐに片づいた。かつて100日間をここで過した。

船は、遠州灘辺りで日没になった。翌朝は淡路島から瀬戸内海を走る。明石海峡大橋、瀬戸大橋、来島海峡大橋を潜り抜けて日没となった。船脚は時速30kmくらいである。 関門橋を深夜に通過して翌朝12日、目覚めると韓国のウルサンに入港していた。ウルサンは釜山よりも北にあって、あの現代自動車の拠点である。いわば、韓国の豊田市だ。人口1100万人のソウルに比べれば110万人と、1/10ではあるが貿易港としては3位 に位置する。至る所マンションにはヒュンダイのマークが見える。マンションではなく、すべてが社宅だという。 バスは、世界遺産の仏国寺(プルグッサ)へと向った。ここは、修学旅行などの定番観光地で、韓国の京都・奈良である。風致地域として周囲の住宅も瓦屋根となっている。ガスステーションまでもがそうだった。幹線道路では、日本で見ることもなくなった温泉マークが目に付いた。それはモーテルのマークになっていた。

仏国を現世に再現しようと統一新羅時代に造られた韓国を代表する寺院で、四天王がにらみを効かせた天王門をぬ けると、本堂が見えてくる。紫霞門へ33段登るとその先が釈迦如来の彼岸世界だという大雄殿がある。 紫霞門の楼閣で木魚の原形を見た。龍魚である。龍になろうとして成れなかった魚の姿があった。子供に母親が言うそうだ。 「しっかり勉強してやり遂げないと、こういう中途半端な姿になっちまうよ」と。この龍魚の形が短く丸くなっていったのが、木魚だという。この木盤の横には、雲の形をした銅製の雲盤があった。反対側にあったのは皮を張った太鼓だった。法鼓というらしい。僧侶は、毎朝これを叩いて、海の生き物、空の生き物、地の動物などの世界が心安らかであることを祈ってくれているのだ。そうした毎朝の勤行に対してお礼をするのが、賽銭という気持ちでの表し方なのだと教えられた。自分勝手な願望を委ねる対価ではないぞと、心した。

 ウルサンには桜がとても多く、日本同様に、春ともなれば盛んに花見が行われるらしい。その桜、なぜかここから日本に渡ってソメイヨシノの花を咲かせ、やがてそれが日本の国花にまでなったのだという。その逆に、済州島には、日本の温州蜜柑が渡ってきて、いまでは韓国一の蜜柑の産地となっているらしい。これらの種子を運んでくれたのは、海峡を渡る鳥なのだろうか。渡り鳥がついばんだ種子が両国を結びつけてくれたのなら、チェ・ジュ島ならぬ チェ・ジューとぺ・ヨンジュのドラマが両国の距離を縮めてくれた。ドラマロケーションを訪ね歩く観光客は 、 既に何年も前からNHKの大河ドラマで産み出されてきた。韓国国旗が上がり、軍隊が駐留している竹島には、どんな種子を落とせばいいのだろうか。

日本語と同じ文構造を持った言葉は、世界広しと言えど、韓国語だけではないだろうか。コミュニケーション出来るということは、互いの文化を共有できる術になる。但し、その分、誤解も生じやすい。その昔、朝鮮半島からの渡来人達が落ち着いたというその街を自分達の「国」(ナラ)と名付けたとよく聞かされてきたが、現代韓国語の「ナラ」を、当時の古代朝鮮語から見つける考古学的根拠は、どうやらなさそうだ。奈良という地名が「均(なら)された/平(なら)な土地」から来た、平坦な住みやすい場所という意味らしく、「ならす」を「奈良須」と表記 していたように、「奈良」は万葉仮名でもあった。 (http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/nara_gogen.htm) そして、「民族」、「民主主義」、「自由」、「平等」、「数学」、「経済」、「会社」などの言葉は日本から朝鮮や中国に渡ったものだそうだ。 自由経済のアジア圏で、漢字を共有できる国同志、距離を更に縮められるのは、政治家経済か、それとも、我々一般 国民の観光客の力だろうか。間接的コミュニケーションとでも言ったらいいだろう。噂よりも確かな実態として、この目で見てきたものが伝えられるならば、国の理解度も高まるものと思われる。日本も戦後60年を迎え、還暦に入った。つまりは、戦争を知らない世代が首相の時代である。

マーケティングの世界では、レピュテーション(reputation)というワードがある。評判とか世評とか言われる。経済界では、CSR(企業の社会的責任)が盛んに問われる時代に入った。ブランディングの意識が高まれば高まるほどに、CSRは表裏一体の関係となる。その間を接着剤のような役目で重要視されてきたのが、このレピュテーションだと言ってもいい。リスキーな要素を伴いやすい「噂」コミュニケーションを避けようとするならば、企業は「真実性」と「透明性」を持つことだ(『コーポレート・レピュテーション』チャールズ・J・フォンブラン、 セ ス・B・M・ファン・リール著、東洋経済新報社刊)という。誠実に自らを提示し、適切に情報開示することが、優れたコーポレート・レピュテーションを創りあげることが出来るとも。 商品というものは、他社に比較しての商品価値でしかないと、価格ドットコムの愛用者である友人は言い放つ。こうなると、多額な広告媒体を要した商品広告のクリエイターたちは、どう答えたらいいのか。企業としてのコミュニケーションの重要性は、ネット社会では、更に重要度を増した。レピュテーションは、トップの発言や社員の行動が左右する。社会的な信頼や顧客とのリレーションを深化させる。レピュテーションが高い企業ほど、事故や不祥事での社会的責任が問われるとき、広報の果 す役目が信頼されていく。
 コーポレート・レピュテーションは、企業経営とコミュニケーション活動の反映そのものでもある。これを、洋上から考えると、竹島問題も教科書問題も靖国問題も常任理事国入り失敗も埒問題も、国家間のレピュテーションが築けていないのではないのだろう。小泉的政治、オレ流野球、ホリエモン的自己PRはどうなのだろうか。

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