どういうわけか、カミサンを旅に連れ出そうとした時は、何かが起こる。

 青学熱海会のゴルフ旅行では、危うく千歳空港に閉じこめられそうになった。関東に台風が上陸するのでこれが最終便だと告げられた飛行機で辛うじて羽田に降り立った。先輩たちが熱海まで行きつけるかどうかだった。翌日、互いに無事だったことでほっとしたその夜、観ていたCNNで9・11、WTC(ワールドトレードセンター)の惨状を知った。映画の予告編かと思った。それ以来、カミサンは飛行機嫌いになってしまった。

 船旅に出た理由は山ほどあるが、その世界一周に出航した時は、イラクへの空爆が激しくなり、寄港地近くの広州ではSARSが発生していた。昨年10月、その船内で知りあった「船友」夫妻が住む新潟への旅を決めた。だが、その一週間前、走る予定の道路が寸断された。10・23、中越地震が起きたのである。友人夫妻の安否を確かめた。東新潟は無事だから来いという。戸惑って遠慮した。被災地に見舞い金を出した。
 我々も延期をしたが、今回、災害を被らなかった地域では、風評による宿泊キャンセルが42万人にも達したという。近年は、新潟の観光二枚看板である佐渡観光と冬季スキー客が10年で半減しているから、更に打撃は大きかっただろう。夏の大水害と晩秋の中越地震、季節に翻弄された新潟県は、観光という経済効果 を多いに損なったことになる。小千谷や山古志村が全国的に知られたとしても喜ぶわけにはいかない。雪に弱いと言われたJR東海とは異なり、豪雪地帯に走り込めるようになった上越新幹線が、地震の脱線で長期運休した。観光客のロジェスティックも支援活動のそれにも、大きな支障を来すことになった。

 今回のことであらためて知ったことは、新潟県の大きさと長さだった。新潟県は、京の都に近いことから位 置的に下にあっても「上」越という。その上越・中越・下越は、餅を延ばしたように細長い形である。上越は関西商圏に、中越は北朝鮮やロシアなど外国航路の入口に当たり、下越は会津の東北に近い。同様な県が他にもある。日本海側の島根県は九州商圏と関西商圏に及び、太平洋側の静岡県は、三河愛知に隣接している浜松が実質的な値打ち感覚で生きており理科系産業、静岡を挟んで伊豆熱海方面 は東京感覚で、しかもホスピタリティという観光サービス業。どちらも左右に異なる生活文化を抱えている。このような横長県の知事は、その人心も経済文化も掌握が大変である。同じ県名でひと括りには出来ない事情がある。それに比して、小さな淡路島の方は、市制の再編成で三分割になろうとしている。淡路市、洲本市、南あわじ市だ。「1島1市」を提唱していた青年会議所の意見は、諸事情で呑み込まれてしまった。

 地震から4カ月、再び新潟から誘われた。ところが出かける前日16日、関東に震度5弱の挨拶があった。「被災地の県に出向くのなら心して行け…」と、天から、いや地から戒められたようだった。あの中越地震の震源地は、新幹線の真下だったことを思いだした。
 上野からの新幹線に乗った。浦佐のゲレンデを車窓から眺めた。10時半の時間でありながら、斜面 を滑っている姿は疎らであった。「スキー道場」として名高いスキースクールが、である。駅から10分という至近距離でありながらだ。各地のゲレンデ来場者が激減しているというのも頷けた。北海道のゲレンデには、雪質の良さと温泉、それに日本人のホスピタリティを見込んで、ニュージランドやオーストラリアの外資が入り込んだ。カンタス航空の直行便も増やすという。片や、日本のスキー人口は若者がスキー離れをし、親子連れか、シニア層に二極化している。腎臓が悪くなってからというもの、背中を冷やしてはいけないと医師に言われ、スキークラブも退会した。カービングスキー板が部屋ですねている。未だに雪景色を眼にすると、ぞくぞくする。長岡から一層雪が深くなった。19年ぶりの降雪だそうだが、浦佐を眺めながら、そう思いつつ、新潟に着いた。

 “GO!GO!新潟5ホテル”のキャンペーンで、新潟でも大手の五つのホテルが、3月31日までツイン一泊朝食付き5,000円という破格の宿泊費を提示した。観光客の動員の一助になろうというものの、不幸な災害に乗じて、新潟に入ったようで、やはり心は平静ではいられなかった。あのスマトラ沖大地震による津波被害を受けたプーケットも既に2カ月が経った。復興させるには旅行客を呼び戻すのが一番だと、近ツリが「元気です!プーケット」を発売した。スリランカ航空も一人分で二人の料金を打ちだしたという。雪国も南のリゾート地も被災地復興に同じ展開となった。
 TSUNAMIが世界語になってきたが、国交省は、津波発生の可能性がある日本沿岸の堤防に対してチェックした耐震性の結果 が出たが、驚くことに60%が未点検だというお粗末。それに引き替え「日本の支援がなかったら、首都は無くなっていた」と日本へ感謝している国がある。 海抜1m程度しかない約1200の島々から成るモルディブのマレでは、首都の護岸工事に88年以降13年間で築き上げた防波壁が、津波の大惨事から守ってくれたのだ。「日本とモルディブの友好のため、日本政府の支援で作られた」と消波ブロックに記した記念碑が海を睨んで建っているという。モルディブ人の多くは、『キョウト』の名前を知っている一方で、米国が『世界の安全を守っている』と言うなら、まず京都議定書に参加すべきではないかと言い返す。自然災害の国で、日米の温度差は大きくなっている。観光国ではないが、南太平洋に浮かぶ世界で4番目に小さい国ツバルは、平均海抜1.5mだ。温暖化による海面 上昇で水没の危機にあるため、国外移住を順次進めている。

 島といえば、竹島が韓国と、魚釣島が中国と摩擦を起こしはじめた。中国に「岩に過ぎない」とまで言われた沖の鳥島は、東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地と2番地、海抜70cmの国土である。この島には本籍を置いている村民が45人いる。温暖化の波は、ツバイ同様、ここにも押し寄せ、水没させる怖れ大である。ウオールストリート・ジャーナルではハワイ大学ファン・ダイク教授も、日本政府が排他的経済水域で経済活動を創出する努力を殆どしてこなかったと指摘して、中国側の主張を認めている。「人間の居住または独自の経済的生活を維持することの出来ない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない」国連海洋法条約121条の3項である。護岸工事は300億円かけて国が管理している。都知事は、首相に「海洋温度差発電所」の構想と建設費20億を訴えたという。生保庁やNHKなど目に余る不法な金遣いに嫌気がさすが、税金をここの防波堤建設費に注ぎ込むことに、誰が文句を言いようか。改憲論や国連理事国入りや、自衛隊海外派遣論よりも、本当の意味での「有事」国策に国費を使うことこそが、「国防」費ではないか。

 我々日本人は、津波についても、地震についても、この領土問題ついても、ホントは日本という海の上に浮かぶ国土に無関心だった。日本の排他的経済水域の指標点を1ヶ所失えば、海洋国日本の領域は、一機に縮小する。自然災害による巨大な経済的損失を政治家はどう考えているのだろうか。地震発生から1年間の経済被害でさえ、昨年度の国家予算(約82兆円)の1.4倍に相当する112兆円という数字も発表された。タイの首相はすぐさま当日に被災地に出たが、小泉首相は、東京国際映画祭の会場から出たのが午後7時だったし、現地に入ったのはたしか、三日後だった。

 東新潟駅近くの船友宅周辺の住宅地は、確かに被害からは免れていた。車で福島潟に行った。日本で一番オオヒシクイが飛来する潟である。白鳥よりは小ぶりだが、羽を拡げると1.6mと、ガンカモ科の中では最大級。カムチャッカからの越冬隊である。渡り鳥の王妃とも言える白鳥を見るために、さらに瓢湖へ向った。湖に溢れんばかりの白鳥が群れていた。壮観というか、贅沢な風景を目にした。村杉温泉への途中、船友夫妻の同級生が支配人をしているという瓢湖屋敷の杜ブルワリーに案内された。が案内した理由が判った。 ここには、日本メーカーで初の快挙、NYで世界一の最高賞金賞を受賞したという黒ビールがあるからだった。道標にも、門の側にも大きな看板がでていた。名前は「ポーター」。98年にはインターナショナルビールサミット、2000年にはワールドビアカップ、いずれも金賞受賞だという。スーパードライに関係していた僕に飲ませようというわけだ。痛風の身で、ビールを控えている身ではあったが、一口味わった。クリーミーではある。アサヒの黒やギネスと比べてどちらがという程、いまはビールを飲み付けていないので、評価ができない。ビールボトルを集めているので記念にボトルは買った。
 北原白秋、坂口安吾、芭蕉などの歌碑、句碑を観て歩いたが、新潟には、文人が多い。感心していたら、いや経済人もいるよと、船友。いま、民営化を論議している、あの郵政、日本の郵便制度の父、前島密も上越出身だった。前島の要請を受けて保健制度を研究し、渋沢栄一によって、日本初の保険会社「東京海上」の初代支配人となった益田克徳という人物も新潟人で、王子製紙や明治生命の共同経営者にもなっている。その兄、益田孝も三井物産の創設者だと教えられ、さらに驚かされた。
 越後屈指の豪農、伊藤家七代で築き上げたという館に行った。江戸中期、一町二反の畑を与えられた一人の百姓が、代を重ねて豪商になり、千町歩以上の新潟県下一の大地主になったことも驚かされたが、北方文化記念館では、我が国古代の埴輪、中国からのかなり大きい唐三彩 馬、そしてエジプトのピラミッドから出てきた埋蔵品、日本に初めて持ち込んだらしいGEの扇風機などなど、北の豪農の世界を観てきた貪欲さにワクワクした。キリシタンへの禁止令の木札もあった。眺めるだけでも時間が足りないほどの歴史的な品々を見ることが出来た。
 最後に、日本開港5港(神奈川、箱館、長崎、兵庫、新潟)の中で唯一現存するという旧税関庁舎をくぐった。隣接している新潟歴史博物館は、圧巻だった。信濃川と阿賀野川の水量 の豊富さが暴れた河川との戦いや、低湿地と海岸砂丘に苦しんだ歴史が、実に丁寧に視覚化されていた。新潟の新潟たる地形が、非常に理解しやすかった。整然と堀を巡らした都市設計は、アムステルダムの地図を想いだすねと、船友に向けると、「水の都、新潟」というのは、知られたキャッチフレーズなのよと、言い返された。僕の生家は、名古屋港なのだ。港の周辺にこれほどまでに歴史を刻んでいるだろうか、名古屋港は…。新潟にぐんと親しみが増した。新潟に来てよかった。新潟復興の旅は、知らなかった土地を近づけてくれた。

 全国知事会長選挙が終わった。麻生福岡県知事が選出された。新潟の遊覧船がアナスタシア号ならば、博多の遊覧船は、明時代の木造船を復刻した「鄭和(チェン・ホー)号」が運航されている。この船は、紫禁城を造った永楽帝の家臣、鄭和に命じて、世界を航走した巨船である。世界一周を経験してきた我々には、非常深い人物である。
 コロンブスよりも70年前、1522年に世界一周したマゼラン艦隊よりも100年ほど前、中国人の艦隊が世界一周をしていた真実が、イギリスの退役海軍将校で歴史学者でもあるガビン・メンジースによって明らかにされた。コロンブスのサンタ・マリア号は185t。ヴァスコ・ダ・ガマの船は120tくらいだったという。「鄭和号」は、長さ140m、3000tとも8000tとも言われるほどの巨船だったようだ。『1421ム中国が新大陸を発見した年』(ギャヴィン メンジーズ 著, 松本 剛史 翻訳、出版社: ソニーマガジンズ: ¥1,890

 ご丁寧なことに、帰りに叉も地震の挨拶があった。新潟を発って1時間後、レールの上だった。「今度は、君たちの番だぞ」とでも言うかのように、浮かれた気持ちを引き締めてくれた。どういうわけか、カミサンを旅に連れ出そうとした時は、やはり何かが起こるのだ。
 自宅に帰った週末の金曜日、中央防災会議の専門調査会が被害想定を発表した。首都圏直下地震が冬、18時、震度6強以上で発生場合、時間と場所にもよるが、首都圏での避難者は700万人、これは、約30万人だった阪神淡路大震災の20倍となる。それに、帰宅困難者が650万人。このうち270万人以上が長期の避難所生活を余儀なくさせられるという。東京湾岸の広範囲地区では液化現象で、33000棟が全壊する怖れがある。いまさら、地盤改良など出来もしない。
 全国一の交通広告媒体面を誇る首都圏に張り巡らされた交通網は、考えてみれば、広大な地域から通 勤してきている父親たちを多数足止めさせることになるに違いない。ラッシュアワーでのパニックは、死者の数は予測を上回るだろう。ライフラインの復旧は、上水道30日、電力6日、通 信14日、ガスは55日目以降であると、報道されている。実感がない、では済まされない。新潟の被災地とスマトラの被災地の方々を努々忘れてはいけない。
 2月の最終週には、24,25,27と三連続全面カラー広告「がんばってます!!にいがた WELCOME JR」が打たれた。「佐渡の料理」、「新幹線スキー」、そして「新潟の温泉」と、三段階の展開をしてやったりと喜んでいる広告会社のクリエイティブディレクターの気持ちが解る。いいことをしてきた気分でそれを読んだ。3月4日からは、新潟港に建つ最高階ビル、朱鷺メッセで「スローフード・スローライフ展」が始まる。船友共々我々は、そのスローライフに入っている。


<関連URL>
北方文化博物館    ■がんばってます!!にいがた
阿賀野川ライン下り  ■瓢湖
新潟市歴史博物館   ■スワンレイクビール  / 受賞歴 / 通  販


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