韓国語で七夕を「チルソク」という。今年の七夕から三日遅れの9日、アジアの劇的な七夕を今か今かと待ち望んだ。2つの星が近づいた場所は、インドネシアのジャカルタだった。
 織り姫と牽牛ならぬ、離れ離れだった妻と夫が、1年9ヶ月ぶりに再会した。曽我ひとみさんとジェンキンスさん、その家族との抱擁であった。拉致された日本人と脱走したアメリカ人。育ってきた国が違い、年齢差が20年も違った二人である。「私の人生は、なんでこんなにもややこしいことになってしまったのだろうか…」と、待つ身の曽我さんが呟いたそうだ。
 韓国の北の国人と日本人が、天の川ならぬ南シナ海を渡って逢瀬を喜ぶことができたのだ。このチルソクの再会は、拉致被害者の中でも残されていた曽我さんにとっては、あまりにも遅きに逸したことである。

 新聞各社の世論調査が芳しくないことが明らかになってから、ようやく政治的な奥の手を出したというか、その再会を急いで実現しろと、官邸が外務省へ強く圧力をかけた期限は、参院選投票日の11日までにというものであった。小泉政権は、参議院選挙の「サプライズ」にする意図がありありだった。
 しかし、人の悲劇が政治に利用されることに、国民は盲目ではなかった。年金法の強行採決、イラク自衛隊の多国籍軍参加は、このサプライズとは別 の重要問題だと考える日本人は多く、自民党への投票へとは結びつけなかった。自民党をぶっつぶすと約束した小泉首相は、皮肉なことに自らの失政で自民党を危うくさせた。ブッシュ・共和党は、大儀なきイラク戦争の実態が露呈してきて政権が危ういと見られ,小泉・自公党は、イラクへ派遣した自衛隊が国会の審議無しに多国籍軍への参加をしたことで、これまた政局を危うくした。皮肉にも、アメリカの9・11と日本の7・11は、奇数月の同じ奇数日であった。
 イラクへの多国籍軍参加で「日本は、日本の指揮権」を持つという了解は、公使による「口頭」レベルでしかなかったことが新聞記事になった。「自衛隊は、多国籍軍の指揮下では活動しない」という日本側の解釈は、米国側が果 たしてイザという時に多国籍軍を掌握統率し得るのだろうか、誰しもが懸念を持っている。軍の規律を重視したい米国へ、「日米犯罪人引渡し条約」を脇に下ろし、日米間を“情薬”にさせた。ジェンキンスさんの腹部外科手術の悪化という、情に訴える切り口を持ちだした。自衛隊法も憲法までも擦り抜けてきた小泉政権だ。他にも病気があるというが、いずれも心配とされる病名は、公表されないままである。
 ジェンキンスさんが日本入りを決めた。1円入札から始まって、5万円で決定した日航機で19日海の記念日に帰国する。海岸からボートで拉致された曽我さんが、今度は南シナ海を飛び越えて家族を連れ帰る。ジャカルタでの七夕期間は、歴史的な10日間となった。

 貴方は、これまでに誰にどんな約束をしてきただろうか。そしてそれは果 たせたのだろうか。

 出版界の不況を吹き飛ばすほどの驚異的なベストセラー「セカチュウ」こと「世界の中心で愛を叫ぶ」は、原作も映画も日本の社会現象にまで拡がった。白血病で亡くなる恋人に男は、豪州のエアーズロックに一緒に行こうと約束する。戦火のイラクで銃撃され亡くなったカメラマン・橋田さんは「イラクの真ん中でバカヤローと叫ぶ」という本を書いていた。そして取材中に知ったムハマド君の眼を日本の病院で手術すると約束した。その橋田さんの約束は、橋田未亡人と日本人の多くの善意を以て果 たすことができた。ムハムド君は、将来医者になりたいと感謝して飛び立った。
 地球温暖化京都会議の宣言を蹴った「米国は間違いだった」と大統領に言わせて いる映画「ディ・アフター・トゥモロー」では、ニューヨーク公立図書館に閉じこめられた息子を気象科学者の父親が「必ず迎えに行く」と約束してそれを果 たした。「シルミド」は、キム・イルソンを暗殺すれば、刑を赦免して更に名誉まで与えるという約束が反故にされた。

 貴方は、これまでに誰にどんな約束をしてきただろうか。そしてそれは果 たせたのだろうか。 曽我さん一家の再会のニュース映像を見ていて「忘れられない夏がある」というキャッチフレーズの映画がすぐに頭に浮かんだ。僕にとっては、特に思い入れの強い、心に残っている映画である。
 それが「チルソクの夏」である。釜山・下関親善陸上競技大会で知りあった韓国釜山と下関の高校生が、来年の七夕の日に、この大会で再会しようとした約束が骨子となった。高倉健主演の「鉄道員」で助監督し、寺尾聡の好演で大ヒットした「半落ち」を監督をした佐々部清の描く青春映画である。おそらく、今夏七夕の頃から、名古屋、関西方面 に上映拡大されているのではないかと思われるのだが…確かめてはいない…。
 今や「ヨン樣ブーム」「パクヨンハ君」など韓国男優と疑似恋愛をしているのは、日本の中年女性であるが、この淡い恋愛の時代背景は、1977年、さほどに、日韓の関係がいい時代とは言えなかった。携帯電話もメールもなかった時代に、想いを確かめあう術は、手紙しかなかった。韓国からの手紙に、小さな町の住民は噂のさざ波を立てた。両方の家族はそれぞれにわだかまりがあり、交際をやめろと反対する。外交官志望の釜山の男子生徒・アン・テイホウは、陸上部を辞めて受験勉強に進む。下関の4人の仲間たちは、韓国語を覚えようと励ましあう。ストーリーの展開の中では、ピンクレディからキャンディーズの唄が次々と歌い込まれていく。約束の再会に来日した釜山のアン・テイホウは親睦会で歌を唄えとマイクを手渡され、唄った歌が、ラジオで覚えた「なごり雪」だった。韓国では、まだ日本の歌が禁止されている時代である。この「なごり雪」が主題歌となっていく。佐々部監督の妹が体験した話を10年間暖めてシナリオにしたという映画である。

 流しを辞めたと言ってギターを叩き割った父親役の山本譲二が、娘から質屋で買ってきてくれたギターを手にしてつい唄いだすシーンがある。(シナリオには指定がなかった曲を彼が決めたという)「雨に咲く花」だった。娘への礼と想いを察しての歌だったが、ここから僕の涙腺が壊れ始めた。暗い映画館の中で、涙が止まらなくなっていった。佐々部監督の妹だけではなく、水谷紀里演じる郁子だけでなく、僕の青春時代が一気にプレイバックしてきたのである。
 我々はミッション系の男子中学校である。文通をしているという友人のSが、修学旅行中に、僕にそっと打ち明けた。数日後に降りる地方都市の駅を指していた。文通 相手が駅で出迎えてくれることになっているという。仲間のKも含めて三人で一緒に会おうことになった。改札口には我々と同じミッション系の女子学院生だった。向こうも三人だった。自由時間になったとき、六人で会った。その中の一人と僕は文通 を始めた。
 互いに、高校に進学した。大学受験の高校三年時には僕の父親に手紙を取り上げられ叱責されたことも度々だった。Sは文通 をやめてしまっていたが、僕は東京に出ていって大学時代も続いた。
 彼女は、孤児院の先生になっていた。新幹線も未だ走っていない時代で、時間距離は遠かった。出かけていって、彼女の両親にもお会いした。戦前、シンガポールのラッフルズホテルにカメラショップを持っていたという父親は、現像室まで備えていた僕の父親と話が合いそうだった。二人は結婚を約束しあっていた。母親は、就職活動を励ましに行ったらと、神保町の親戚 の家に頼み、彼女を上京させた。
 5月、志望の会社から内定が出た。しかし、就職先が決まった半年後に、手紙は途絶えた。当時は隣家の呼び出し電話しかなかった時代である。父親が帰国してから世話になった方の息子さんと縁談が進んでいたらしい。彼女の理解者だった祖母は亡くなってしまった。あの頃から考えれば、例え遠距離恋愛でも、今の子供たちは羨ましい限りだ。伝言電話もファクシミリも携帯電話も携帯メールもパソコンメールも…ある。いつでも好きなときに即時に伝えられる。映像も音声も送れるのだ。台湾に出張している息子が、夫婦でチャットをしあっている時代がなんとも羨ましい。

 映画の二人、郁子とアン・テイホウが果たせなかった、もうひとつの約束は、26年後に実現する。「(競技)終了後に5番ゲイトの下(で待つ)」と人に託された伝言に書かれた文字はハングル文字だった。今度こそ二人はその場所で会えると足を速める。ラストシーンは、夏の陽が射し込むスタジアムの外廊下、白いスーツ姿の男が眩しく立っている。その男こそ、この親善大会を支えてきた匿名の篤志家である。

 …曽我さんには、ジャカルタの陽を受けてタラップを降りてくるジェンキンスさんが、きっと同じように眩しかったはずである。そして10日後、家族4人のために念願のタラップが日本で付けられた。日本の夏は、眩しすぎるほどの光をあなた方に浴びせるでしょう。ジェンキンス軍曹殿、暑いイラクで身動きが取れなくなっている多国籍軍下の自衛隊は、米国の指揮下には入らないと。小泉首相は国民に約束している。一浪したか、二浪したか自身のことさえ曖昧な記憶力、恩義のある昔の社長が亡くなったのか健在なのかさえ知らない我が国の首相。小泉支持率は、これまでで最低の43.7%に落ちたとTVは報道した。

 貴方は、これまでに誰にどんな約束をしてきただろうか。そしてそれは果 たせたのだろうか。

 日本経済は浮揚してきていると新聞は書く。果たして、約束は果たせているのだろうか。国産を輸入肉と偽って、保証金を受ける食品関連企業。医療ミスを犯しても手術を続けて命を軽視する医師。空出張をさせて金を作る錬金術師が、犯罪を取り締まろうとするこの国の警察。年金未納議員が年金法をごり押しで通 す国会という国の会議。安全の約束が出来ないままに売り出した日本の財閥系車メーカー。広告屋であった僕は、こう教えられてきた。ブランドとは、広告主と購入者が互いに「品質を約束し続けた結果 の絆」である、と。

 貴方は、この夏、誰にどんな約束をするだろうか。そしてそれは果たせるのだろうか。

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