故あって、ヒゲをつけています萩原です。
クリックしてくださいまして、有り難うございます。
突然ですが… 私には、二十歳前の写真がありません。
子供の時の写真も中高の卒業アルバムも、海水に浸かりました。
東京に出て大学生活 を始めた時でした。あの伊勢湾台風で無くなっていました。
将来への志望は新聞記者でしたが、広告会社に方向転換です。
起きた現実を報道することより、
これから起きるであろうことを洞察しながら、
企業にその戦略を実行してもらう参謀になりたかったのです。

いまでいう経営コンサルタントのような位置が漠然とありました。大き
な理由は、当時罹災した父親に沢上(名古屋の地区名)の親しい同業者が、
即座に机と電話を提供してくれたことにあります。
このときとばかりに、関東からダンピング価格で攻略してきた業者に対して、
名古屋の同業者は、提示価格よりも当然高い父の会社から、
買い求めることではねつけたということでした。
伊勢湾災害の復興が、東京だったらあれほどの早さは、
成し遂げられなかったろうと言われました。
接着剤からコンピュータ、コーヒーから化粧品、ドリンク剤から生理用品。
北から南までの地域、多くの商品を担当させていただきました。
広告というソフトウエアは、経済活動を支えるものだと思います。
企業戦略は、これまでの市場を転換することもします。
市場を創ることもできるのです。
名古屋の若手の経営者の方々に、少しでも今までとは違った、
ユーザーオリエンテッドな視点を持っていただければ幸いと、
ソーホー・ジャパンの大城社長に促されて始めたのが筍塾です。
そして、このページから、私が、日常の中から何をどう感じ取っているか、
拙文を書きだすことになりました。



2001.7.12(木)


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