last update : 2002.11.5
 先日、sohoのこのhpをきっかけにとても懐かしい方からメールをいただきました。 その人の名は後藤みわこさん。最初、hpの担当者であるOZAKI嬢から、後藤さんという絵本作家の方から問い合わせがあるんですけど、という連絡を受けた時は、すぐにピンとこなかったのですが、しばらくしてハッと思い出した。そう、あれはかれこれ10年ほど前に遡る。
 私は友人で当時東海ラジオの人気アナウンサーであった小島愛理とともに、ひとつの小さなラジオ番組を担当していた。その名も「トランタン〜僕をさがしに」。
 当時、30代だった私と愛理は、その頃の等身大の自分たちの気持ちを語れるようなラジオ番組を作りたいと話し合い、スポンサーのないまま制作していた。30代の女性といえば、例えば独身のキャリアウーマンもいれば、子育て真っ最中の人、第二の人生を考え始めた人など、多様なライフスタイルが生まれる頃。そんな時期の、どこかで自分へのこだわりを捨てられない女性達が、立場を越えて本音を語り、ネットワークを生むような番組づくりを目指していた。
 僕をさがしに〜は、ご存じ、絵本作家のシルヴァスタインの絵本のタイトルからとったもの。そんなこんなで毎月、さまざまな30代女性をゲストにむかえトークと音楽でつづる番組だった。
 その番組のゲストとして参加してくださったのが、後藤みわこさんでした。当時、彼女は、童話作家になりたいと願う主婦でした。私たちは番組の中で、いろんな話を語り合う中で、夢は諦めたらおしまいだ、まず、なろう!という自分自身への決心こそが、夢へ近づく第一歩だということで、番組の中で、みわこさんに、「私は童話作家になります!」という宣言をしていただいたことを覚えています。

 そして月日は流れ…。番組は終わり、しかし私たちは、沢山の同世代の仲間から沢山の勇気をもらって今、それぞれの40代をむかえるに至りました。小島愛理はその後、一念発起して会社を辞め、単身、ニューヨークへ渡り、数年を経て大学に入り、今年、首席で卒業するという偉業(?)を成し遂げました。パチパチ!
 そうして、届いたのが、「童話作家になりました!」というみわこさんからのお便りだったのです。
 その時の私の喜び、みなさんにも分かりますよね。まるで自分の夢が叶ったかのような大きな喜びと励みをいただくことができたのです。 以下、私とみわこさんのメールのやりとりです。みわこさんの了解をいただいて、ここに掲載したいと思います。
 もし、よかったら読んでみてくださいね。 わたしも、みんなも、夢を信じて、まっすぐ向き合っていけば きっと叶うよ。その夢の続きこそが、私たちにとっての本当の はじまりなのだから。

2002.11.05 furuta nahoko


後藤みわこ様
 
こんにちわ。久しぶりです。 古田菜穂子です。ほんとうに久しぶりですね。SOHOで私を見つけてくださってありがとう。そして、本も送っていただき、みわこさんのメッセージをファックスしてもらって、本当に嬉しく思っています。
 あの時のラジオのことは私もはっきり覚えています。 ここで、宣言しようね!って言った話も。で、みわこさん、ちゃんとプロになって…偉い!!!!
 私たちはもうトランタンではなくて40代になってしまったね。 (だよね!みわこさんは、まだかな?) でも、きっと、互いにそれなりの30代を過ごしてそして、私たちらしい40代になっているのだと思います。 愛理も、あのラジオが終わってから、アメリカに留学して、今、ニューヨークにいます。 彼女も、ものすごく頑張って、頑張って、そして今に至っています。
 あのラジオで皆で話したことは、本当に互いの応援歌だったなと。その意味で、みわこさんからのふいのお便り、本当に嬉しかった。涙が出たくらいです。 楽しんで、いい人生を、その時々を大切にして 過ごしましょうよ。時々は落ち込んだりもするけど、でも、どっかでこうしてそれなりに頑張っている仲間がいるってこと 忘れないで、私たちらしく、自由に、わくわく 生きること、暮らすこと、つらいことも、きっと、いつか自分たちの栄養になるって信じる気持ちは強いよね。
ではではまた! 
古田菜穂子

古田菜穂子さま
 こんにちは。メールをありがとうございました。 とても驚いて、
うれしくて、でも、どきどきして、なかなかこのお返事メールを書き出せませんでした。 デビューしたときから、お知らせしたいと思っていて、やっと思いがかなって……だけどそれは自己満足でもあり、本をお送りしたあとも迷っていましたので、メールをいただけて、本当にうれしかったのです。 安心した、みたいな気持ちもあります。
 わたしも無事(?)四十路になりました。 ラジオの頃は幼稚園児だった娘たちも小5と小3です。 でも、何も変わっていない気がします。 当時は、あちこちの童話賞に送っては落ちたり通ったりの日々。 今は、いくつか依頼された仕事もありますが、書いて持ち込んでボツになったり、の日々。です。
 今思い出したのですが、あの日、 東海ラジオに出かける途中、作品をひとつ応募先に投函しました。「これが入賞したら運命だわ」と思いましたが、それは落ちてしまいました。
 二年後、(隔年開催の)同じ賞に応募した作品は優秀賞に入って、表彰式に行きました。 それを書いたのが10月。 直前9月に書いて別の賞に応募していたのが、デビュー作になった(お送りした)童話です。 スタジオでお目にかかった頃も、そのあとも、わたし、ずっとずっと書いていたんです。
 小島さんは今もニューヨークにいらっしゃるんですね。 実は、以下にコピーするのは、昨年1月の日記です。 ホームページに載せているので(すでに人に読まれているので) 紹介させてください。


1月23日
 3年以上前になるのだけれど、地元・東海ラジオの番組に出演させてもらったことがある。 30代の女性を応援しよう的な趣旨の、「トランタン〜ぼくを探しに〜」、あのシルヴァスタインの絵本からタイトルを取ったという番組だった。
 わたしはその少し前に、朝日新聞の投書の特集に載せてもらっていた。「童話作家になりたい」と書いたのだ。 それが縁で、番組から声がかかり、「童話作家を目指す主婦・後藤みわこさん」として出演した。スタジオでインタビューを受け、「君は君の誇り」(中西圭三)や「SOMEDAY」(佐野元春)なんかをかけてもらった。 で、そのとき、番組内で「童話作家になる!」と宣言して…まぁ、「作家になった」とはいまいち言い切れないのだけれど、とりあえず、本は出せた。
 最初の目標はかなえたよ、というつもりで、「トランタン」の司会だったアナウンサーの方に本を贈るべく、東海ラジオに電話をしたのだが…。 2年も前に退社されて、今はニューヨークに住み、連絡の取れる者はおりません…とのこと。 彼女に報告する…というか、彼女にわたしのことを知ってもらうには、「有名」になるしかないのだな、と思った。
日本の新聞は読むかもしれないから、せめて、大きな新聞に名前が載るくらいには。 わたしの名を覚えてくれていたら…の話だけれど。
 宣言したことが、わたしを変えたのだと思う。 その意味で、投書を載せてくれた朝日新聞と、それを拾いあげてくれた東海ラジオは、「恩人」でもある。小島さん、古田さん、とりあえず「トランタン(30代)」のうちに、ここまでは来ることができました。この先も進めるように、がんばりますね!


  今、わたしのまわりには、児童文学の世界で同じようにがんばっている、30代、40代のライバルたちがいっぱいいます。 「同じように」といっても、それぞれの仕事ぶりは違うのですが、落ち込んだり、立ち直ったり、高揚したり、また転んだり…をそれぞれ繰り返しています。
 「トランタン」に出していただいたころ、わたしは「応援していただく側」の気分で、がんばっている自分のことしか見えていなかった気がします。 今でも、かなり「そう」かもしれませんが、少しでも、自分の失敗談(ほんのたまには成功談)が、同じ道を目指す人の役に立てばいいなと思って、創作日記を公開しています。「デビューしました」とはいえ、まだまだ2年生、がんがん転びながら、になりそうですが、なんとか前進して行けたらと思っています。
 では、今夜はこれで。 メール、本当にありがとうございました。
後藤みわこ

 いかかですか?こんな出会いがあるから人生は素敵だよね。みわこさんのhpです。ぜひ、遊びに行ってみてください。
 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/6375/  
  それではまた。


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