…arico/2006年1月〜12月のコラム…
038 06.12月
 はや一年が〜毎年毎年言う台詞だけどもうほんとに早すぎて困ります〜。去年の今頃、久しぶりにCD『ときあかり』を出したことで派生した、東京中心のライヴ活動で、この夏までとても忙しかった。 その頃から予期してなかった、仕事上の新たな人間関係が始まった。結果 みんなで仲良くやるのは非常に難しかった。そしてそのせいで、夏の終わり頃からしばらく眠れない日々が続いた。あちら立てればこちらが立たず、そんなことを何度も繰り返し、限界を悟った。 最後は以前から仕事も含めて信頼出来る方々何人かに相談した。みな一点で一致していた。当事者の私だけが、近すぎて見えなくなり、わからなくなっていたのだった。わかったのは私が相変わらず世間知らずなこと。そして他者への愛が足りないと言われ、甘え方が下手だと言われ。しかしながらだからこそ、私は音楽でそれを埋めてきたつもりだったが、言葉がまだまだ足りなかったことを反省した。
半面お褒めの言葉もあった。癒し系の音楽と称されることが多いが、自分自身のキャラまで、そういった何か型にはまった 感じに捉えられるのが、とても嫌なのだ。猛烈に反発を感じてしまう。例えば、とても純粋なんだね。魂が綺麗だよねみたいな言われ方をすると途端に拒否反応。すごく嫌な奴を演じたくなる。そういうことに敏感なここ数年、とても強いキャラが時々、特に初対面 に近い人間関係で顕著に現れていた。我ながらほんと子供だよな〜ってヤッチマッテから思うけどしょうがない。そして新たな誤解をまた生んで来た。けれどそのくらいが私には心地よかった。わかる人にはわかるはずだと、損な性格。
 そんな中、出会った二人の指摘に救われ、またとても楽になれた気がした。
 一人は以前から交流のある東京在住の音楽プロデューサー。和製イギーポップみたいなめっちゃカッコイイ人。あの古田菜穂子の昔からの友人。彼女はさすがホントにイイ男&イイ女を沢山知っている。話しは戻し、その稀有な精神性のバランスが外見に溢れている人だ。彼が言うには、いかにも癒し系やってます!って感じならその音楽はウソだと。そんな音楽はゴマンとあると。しかしあなたはとても人間くさい。いろんな感情の濃度がとても濃いと。要するに煩悩の塊ってこと?!ハズカスィ〜!〜だから作ってる音楽がホンモノだって言ってくれた。これは相当効いたゼ!でもファッションの世界で、ホンモノの毛皮よりフェイクに惹かれることがある。ホンモノよりニセモノの方が、よりパワフルで美しいからだ。どの表現も一緒。ホンモノとは何ゾヤ?それはいつも問い続けてきたナゾ。自分の音楽がホンモノかどうか多分永遠にわからないが、問い続けて来てる姿勢だけはホンモノに近いかも知れない。

  そしてもう一人、初対面 の整体の先生。会って少し話しただけで好意的に私のCDを買ってくれた。なんで?って聞いたらとても面 白い答えが返って来た。初対面なのになんだか、すぐ喧嘩でも始めそうな挑発的な態度だと。それはいつも音楽を深いところに降りて行って、一人で作ってる時と真逆の強いキャラが表面 に出ているからだと。だからコントラストが強い分、音楽は相当いい。バランスが取れていると言われて面 食らった!
そーかあー私のこのどうしようもない、ある種少年のようだと言われるキャラはそういうバランスだったのか〜。
 なんだかあらためて目からウロコ状態だ!けれどそういう見方が出来る人は、かなり常日頃から、客観的に物事を見ているからだと思うし間違いなく少数派。 フツーは変な奴で終わる。
 それでもこのお二人様に肯定されて、ますます活気づいた私のキャラは、このまま多分全開モードで来年もつっ走り!そうそう来年度はボチボチがんばり ますわっ!
あっでもがんばらんでもいいて言われてるし頑張らへんよ!
ほな来年もよろしゅうお頼申します〜


037 06.11月

初めまして。私は7年前映画音楽CDでメジャーデビューしました京都在住ミュージシャンAricoです。
先週11月2日 木曜日、日比谷通りを車で有楽町→大手町へ走行中、右手に拡がった景色〜この上なく優雅な曲線を描いた特別 に美しいたたずまいに視線はくぎづけ。一瞬にして私は恋に落ちてしまいました。…感動していると、タクシーの運転手さんから残念だけど多分もうじき取り壊されますよと残酷なことを告げられました。 あんなに途方もなく美しいものを壊すことが出来る?! それはとてもショックな事でした。そしてもしかしたらずっと昔東京に暮らしていた頃、三信ビル内のレストランかショップに来たことがあるかも知れない…とても懐かしい記憶も同時に蘇りました。〜 それが三信ビルでした。 窓越しの一瞬の出会いの後、大手町で打ち合わせを済ませた私は、次に上京した時はもう消えてるかも…と思うと、いてもたってもいられなくなり、 またその足で三信ビルに会いに行きました。 そして夢中でその姿を携帯カメラに納め、網膜の奥に焼き付けてきました。
 「…もう僕は長くない。哀しいけれど運命を受け入れているよ…」 と憂うつな微笑みを浮かべ、 私に静かに語りかけて来ました。 彼の存在はすでに微かに、ゆっくり揺らぎ始めているようです。 まだそこに確かに在るのに、蜃気楼のように本当は何もない錯覚に強烈に引っ張られるような感触。どこからともなく聞こえてくる微かに陰鬱で優雅な、同時に明るい諦念と希望を含んだサウンドは、偶然の出会いからどんどん私の内側で増幅しています。
出来ることならあの姿のままあの場所に今しばらく、三ヶ月でも半年でも残したい。 本当の事をいえば、とても大切に、そっとあのままの景観を保ったまま上手くリノベーションして、ずっと見守っていたい。〜それはきっとものすごく費用のかかる大変な事業でしょうが、でももっともっと沢山の人々が今の現状を知って、訴えていけば可能性があるのでは… 今真剣にそう願っています。 コンポーザー&ピアニストの私が皆さんの保存プロジェクトに役立つ事は何なのか只今模索しています。 そして皆さんや自分の想いを音楽を通じて活動し、参加させて頂けるよう希望しています。 しかし時は既に遅しなのか、この携帯アドレスへ最新情報をお伝え頂けませんか? それではよろしくお願いいたします。〜 Arico

 上記は11月2日、東京日比谷で出会ってしまった三信ビルへの熱い想いを、その日の夜中に三信ビル保存プロジェクトへ送信した文章だ。
それから上京するたびに、合間を見つけては会いに行っている。写真を夢中で撮っていると何故か何人かの日本人、外国人男性から道やホテルの場所を聞かれる。 それってナンパの手口?!しかしご老体とはいえ、これだけのイイ男(三信ビル)を前にして全然他には目がいかないよ。それどころか写 真を撮っているうちに、あまりの美しさに涙が出てきて困る。特に夕方はヤバイ。お願いですから放っておいて下さいね。けれど、他から見たら私はかなりヘン。 余程淋しそうに見えるのかな。
まっどう見えてもいいッス。
自分が夢中になれる事しか見えない幸福なタチッス。

11月末三信ビル保存プロジェクトから返信メールが届いた。
私に出来ることがあるかもという嬉しい予感。
しかし時は刻々と迫っている。


036 06.10月

 10月15日、叔父が亡くなった。
ここ1、2年体が弱ってきていたが、その知らせは突然だった。

私は叔父のことを子供の頃から「おじちゃん」と呼んでいた。 私が産まれたのはJR岐阜駅から歩いて10分程東の松鴻町という町にあった、木造2階建てのおばあちゃん家。 小学校に入学する前、そこからまた東へ車で10分の今の実家へ引っ越すまで、松鴻町の家で曾祖母、祖母、母の弟、もうひとりの弟のおじちゃん一家、私の家族10人以上の大家族で暮らしていた。私は初孫ということで、みんなから多分猫可っ愛がりされていた。 父が私のおむつを交換したことは一度もないと言う程、誰かがいつも、私の側にいた。とても幸せな子供時代だった。

家の近くの大きな材木置場でいとこたちや妹と、ほぼ毎日かくれんぼやおにごっこした。大きな丸太の影で小さく息をひそめて、木の香りを一杯吸い込んで。 歩いて5分もかからないところにJRの長い踏切があった。 「あかずのふみきり」と呼ばれていて、一度閉まるとなかなか上がらなかった。いつも急ぎ足で長い線路を渡っていた。 夜、ふとんの中で夜行列車や貨物列車の音を聞いていた。 おばあちゃんと一緒にお風呂に入ると、いつもお湯が熱くて半ベソだった。 銀行勤めのおじちゃんは日曜日、近所の公民館で習字の先生をしていて、妹と友達のはるちゃんと三人でずっと通 っていた。帰り道、駄菓子屋さんでみそおでん食べたっけ。

おじちゃんが亡くなって、子供の頃をリアルに想い出した。怒られた思い出など一つもない。いつも穏やかな人だった。習字教室の生徒(子供も大人もいた)みんなにやさしかった。教室は、おじちゃんの人柄そのものの温和な空気が、いつも変わらないで、ホンワカしていた。赤い大きな丸をもらって嬉しかったな。 大人になって、私が音楽を志して今に至るまでずっと、音楽の活動を心から応援してくれていた。昔からオーディオ・マニアで、良い音でいつでも私の音楽を聞いていた。TVで私の曲が流れると、曲名までわかる人だった。

お葬式会場では、おじちゃんが一番愛してくれた一枚目のCD「kanata」がずっと流れていたそうだ。
live直前だったので欠席したけれど、音楽で参加出来たことで少しなぐさめられた。

亡くなった日、すぐに会いに行った。その姿を見るまでは、冷静だった。 子供の様に無邪気な、少し今昼寝してるだけだよ みたいな軽やかな表情の亡き骸に対面 した途端、涙がとめどなく溢れて来て、立ちつくしたまましばらくの間、動けなくなった。ものすごく悲しかった。こんなに苦しくなる程、悲しい気持ちになるなんて…。

気が付かなかったけど、大人になってからも、心の、気持ちのどこかで頼って、子供の頃と変わりなく甘えていたのだった。もう会えなくなって、初めてわかった。
私が「おじちゃん!」と呼べる人は、世界で只一人だった。


035 06.09月

 このところ、気付くと虫の音をずっと聞いている。
虫の音はひたすら私にやさしい。そして作曲している間も、ずっと虫の声を聞いていたんだということに最近気付いた。この先、どの土地で暮らすことになるのか全く想像がつかない。そして想像のつかないまま、京都と岐阜を行ったり来たり。このリズムはそのうち変化するものだろうと思う。そしてどのように変化しても、虫の音の全くしない場所では暮らすことが多分出来ないかも、なんてことも最近やっとわかって来た。

 この夏20年ぶりに偶然の再会という嬉しい出来事がいくつか続いた。そして9月16日、通 学していた名古屋市立菊里高校音楽科の同窓会に出席した。 夏に偶然再会が続いたことで、今度は自分の方から積極的な気持ちで、同級生に会いたくなったのだ。9月16日、菊里高校に近い星ヶ丘テラス内和食処で、お昼時10数人と再会した。卒業後、一度も会ってない子は正直すぐには誰かわからなかった。でも少し話し始めただけでたちまち高校生の頃を取り戻せるのは不思議。
当時私は「有子(アリコ)ちゃん」(本名)と呼ばれていて、久しぶりにみんなから「ありこちゃん」サウンドを聞けただけで甘やかな気分で嬉しくなった。

実は高校時代、とても孤独だった。
中学は地元の岐阜で卒業し、2時間近くかけて名古屋星ヶ丘まで通い続けた3年間。毎日午前5時台に起きて6時過ぎに家を出ていた。冬場はまだまっ暗な時間、夜が明ける前に出かけるなんて、現在と正反対の生活だった。クラスは40人で、ほぼ全員が音楽系大学を目指す環境。普通 科は9クラスあり、男女共学。音楽科も男女共学ながら、男子は極端に少なく2人とか、年によっては0の時もあった。普通 科に好きな男の子がいたが、片想いだった。中学時代のBFとたまにデートしたがいつもライトコース。それより、ヘヴィーなロック音楽に目覚めてしまった。

毎週、学校内のレッスン室でピアノレッスン。そして毎日音楽の様々な専門教育を受けながら、主にヨーロッパ系プレグレやヘビメタ等夢中で聞いていた。クィーンのライヴも行った。クラシック音楽にない異質の美しさにひかれていた。クラスに親友もいたし、他の子とも、そうみんなと仲が良かった。でも自分が将来クラシック音楽を続けていくことに、どんどん?が大きくなっていた分、正比例して心の内では孤独感も膨らんでいった。同じクラスにやはり同じような傾向の子が数人いた。それぞれにみんな孤独だったと思うけれど、当時の写 真を見ても、どこにもそんな影、悲愴感など見当たらない。若さってそういうことだと、今ならわかる。そういえば3年生の時、文化祭で「キャロル」(※あのエーちゃん・矢沢永吉のいたバンド)のコピーバンドの演奏で盛り上がって、じっとしていられなくなり気付くと舞台上で踊っていた。夏の終わり、まっ白いセーラー服に縦に白線入り紺色スカートの制服で! 当時から横着だった。

  同窓会は本当に楽しかった。一人一人それぞれの人生の話を聞いていちいち盛り上がった。午後の時間は瞬く間に過ぎていった。人生はイロイロ、そしてどの人生も悲喜こもごもだ。後日、隣り合わせたTちゃんからお便りが届いた。

〜朝夕涼しくなり、ほっとするこの頃です。先日は久し振りにお会いできて嬉しかったです。今、有子ちゃんのCDを聞いています。ときあかりの中の些細な事柄の所で涙がこぼれました。感情を控えた表現の中に、有子ちゃんの今までの悩みや、それを清らかに越えていらした強さに感動しました。苦しみながらご自分を通 していらした方の、しっかりした歩みと、痛みのわかる方の暖かさにふれました。人それぞれ人生は違うけれど、とてもなぐさめられ、力をいただきました。どうぞご自分を大切に、お幸せに歩まれます様、お祈り申し上げております。勝手な事ばかり書きまして申し訳ございませんでした。
 九月二十日 かしこ〜 (全文掲載)

読み終えると同時に、玄関先で号泣。なかなか止まらなかった。
9月、実はとてもつらい状況が別に起こっている最中だった。Tちゃん本当にありがとう!
生きていると、こんなに嬉しいこともあるんだよ。


034 06.08月

 東京は赤坂見附でお昼ごはんをフォトグラファーのNさんと。 相変わらずカッコイイ人だ。
目の形がきれいなアーモンドみたい。 アジアンレストランのラフな内装と、彼のラフなファッションが一枚の絵のようだ。 その後、夕方から青山スパイラルビルでの打ち合わせまで時間があったので原宿表参道ヒルズに寄る。建物は安藤忠男でカッコイイけれど、なにかヒトとの関係がチグハグで、内部に流れる作り込み過ぎた音響のレベルも不快。 昔そこにあった同潤会アパートをつい懐かしむ。50年後、ここは懐かしい場所になり得るのか?しかし表参道ヒルズ内のベンチはちょっと午後のほっこりタイムに絶好の場所。帽子を目深にかぶりついウツラウツラする。
 どのくらいの時間が経ったかわからないけど、「今日はあつい日ですね〜」と、小さいながらも声が響いて来た。うっすら目をあけて、声のする方を見ると、男の人がベンチのハジからこちらを見ている。座った時は、5人くらい腰掛けていたのが、今はその人と私だけになっていた。もう一度はっきりと「今日はあついですね〜」と私に話しかけて来た。
もちろん全く知らない人だ。 「ええ ほんとにあついですね」と私。
まだ頭がボーッとしていた。少し間があって、「この建物の中に、いくつかお茶出来る店があますが、一緒にいかがですか?」これってナンパ?!と気付くのにもまだ頭がボーっとしていた。少し間を取って、「ありがとうございます。でも待ち合わせの時間が近づいてますので」と丁寧にお断りした。
その人は「そうですか、じゃあ〜…」最後のセリフは聞こえなかったが、すぐどこかへ消えた。 まだ頭がボーッとしていたが、だんだん意識がはっきりして来た途端に、何故か久しぶりの出来事にドキドキしてきた。
真面目そうなサラリーマンスタイル。 多分10歳以上年下な感じ。
出会ってから最短の別れを味わったような、このチョイ切なさは何よ?

 随分昔、当時BFのビザール&フェティッシュな趣味でひざ上20cm程のミニスカート、しかも全身薄い黒革のスーツに足元は9cmヒールのおバカな私のコスプレ全盛時代、デートの帰り背後から声をかけられたっけ。忘れていたけど今回何故か鮮明に思い出した。 その人は同年代で少々オタク系「写真を撮らせて頂けませんか。モデルを捜しています。」だった。もちろんお断りした。
でも今なら解る。「ナンパオッケーです!」スタイルだった。 無知ほどコワカもんはなかとね…。 もっと昔、もっとヒンパンに若さゆえ、ナンパされていた学生の頃なんて多分、露骨にヤな顔で無視していたっけ。 年を経ると人間丸くなるんだね。 今回特に、「ナンパオッケーです!」のスタイルではなかった。だからかな、何だか嬉しかったっけ。次回から茶くらいシバイたろやないか!
人生楽しんでナンボや。 最近いろんな場面でそう想う。

8月19日、井上陽水のライヴに御招待頂いた。
何てラッキー!陽水さんのライヴは初めてだ。もちろん昔レコード時代、よく聞いていた。当たり前のことだけど、メチャクチャ歌がお上手です!バックミュージシャンも100%完璧な仕事ぶりで、とにかく聞いていて気持ちが良い。ほんとにスキッとするのだ。陽水の声は「ズルイ」と言われてますが、ズルクないない。気分爽快でした。全然迷いなどないと、こんなにさわやかな表現になるのだと感じた。
この日の東京世田谷ライヴは、NHK-BSで後に放映された。男性ファン達の「ヨースィ!」野太いかけ声が、妙に会場に響き、長〜い間ファン演ってます!のお洒落な白髪カップルも多く、会場は大人な感じ。んでやっぱり最後は「ペキン、ベルリン〜♪」で踊っていた私!
その翌日後楽園ホールでプロレス観戦!
「BIG MOUTH LOUD」という団体関係筋より御招待。今回ツイテマス!一人一人の登場にかかるBGM、映画音楽、ヘビメタ、演歌等これだけでも超楽しく、エンタテイメントの極み!自分の体を張った試合運びに感激!こんなにも面 白いなんてヤバイ世界だった。次回は楽屋を訪ねて来ようと心に決めたのだった。

8月25日、ソーホーのトコロさん(私のホームページの制作スタッフで、いつもお世話になってます)と京都のライヴハウス「ネガポジ」でライヴペインティング、山口和也さんのペインティングと横川理彦さんのサウンドのタッグマッチを観戦!山口さんの筆さばきも先の見えない感じがすごく面 白かった。そして横川さんの音楽は格別美しかった。ヴァイオリン演奏と同時にコンピュータの操作。山口さんの大きなキャンヴァスの裏に取り付けられたマイクから様々な道具を使って描く音、リズムも加わり、それはぞっとするほど冷たく、時には危機感を孕んで熱く膨張し、あるいはヴァイオリンの低音が私の体内に染み入ってくる。 抑制の効いたストイックさと、とても粗野な何か。本質的に自分に似ていると思った。久しぶりに出会った感じでシャブな気分〜。…ライヴ後、横川さんとお話しが出来た。やはりステキな方だった。 そしてぜひコラヴォレーションさせて下さいと告白。 オッケーを頂いた!近い将来、どこかで必ずコラヴォするゼ!  暑い夏に熱い体験が続き、幸福な日々〜
 


033 06.07月
 今年の「ナツ」は去年までとかなり様子が違ってきた。 6月東京、岐阜、京都と3回ライヴ公演。7月は大阪、東京2回、岐阜と計4回! 超スロウな人生を歩んで来た私も、少し目覚め始めたかなと思えるリズムで今とても充実感がある。
今年の1月、2月あたりは本当に余裕がなくて、それでも一生懸命ライヴを楽しもうとしていた。 もちろん楽しいことばかり続きはしない。いろんな事が起こるし、その度に気持ちも揺れる。 それで今度は嫌なことからも逃げないで、全て味わおうと…そう、かなり居直った。
最近はもっとシンプル。肩の力が抜けて、ただその「場」を感じて演奏するだけになって来ている。 だからか、以前より解って来たことがある。それは、リスナーからエネルギーを一杯もらっているという実感だ。 私が音で様々なエネルギーを放出すると、それ以上に返って来てそれがまた私へ…の循環作用がもしかすると無限大なのではないかなって感じられる。不思議なことだけど最近強く実感できて、感動した。 初めて出会ったお客さんの沢山の笑顔にも。 久しぶりにライヴを聞きに来てくれたフォトグラファのNさんが「音楽はほんとにシャブだよなー」と言った。だからヤバイんだよ。やめられないばかりか、溺れっ放しだ。どこかで逃れたいという意識は、最近なくなって来た。溺れっ放しで幸せだと思えることが沢山増えたから。 初めて来て頂いた女性は私のピアノを「危険な感じがする。聞き続けていると何だか夫以外の人と突然恋に走り出すような…。
そんな気配がする」と、少し離れたところにいる彼女のご主人に聞こえないように小声でつげて、CDをお買い上げ頂いた。 心臓に手を突っ込んで揺り動かしたいと思ってピアノを弾いているのだ。 「癒しのピアニスト」なんてそんなアマーイ評価はいらないのだから。 彼女の感想は最近一番のごちそうになった。

そうそうごちそうといえば6月の終わりにディナーライヴした京都上賀茂「Ristorante Azekura」の料理は凄かった。一言で言うなら五感、そして官能を刺激されたという感じ。天然の魚や自生している京都の山奥で採れた小さな、だけど強烈な香りの実だとか、イタリアから空輸した最上のモッツアレラチーズや夏トリュフと素材も凝っていたが、とにかく目の覚める、感覚の冴え渡る出来映えだった。最初の一皿目で、あゆを内臓や骨ごとくだいたソーセージとモッツアレラチーズが浮かんだ冷製のきれいなグリーン色の豆のスープ。Sシェフは3度目の料理と音楽のコラヴォレーションということで、私の音楽の中に生じる不協和音に近い独特の響きを、あゆの苦みで表現したと言っていた。それに続く料理やデザートまで、とにかく野性味の中の洗練を見た気が確かにした。そして全て様々な香りに満ちていた。今回は「やられた!」と思った。それは最高に幸福な戦いだった。 そんなセンシュアルな料理を頂いた後、liveはどう展開するのか?次回は10月19日木曜日です。ぜひ幸福な音楽と料理のバトルに御参加下さい!
ライヴ終了後、 帰り際Sシェフと握手した時、不意に「ハグしよう」って私から熱いハグをかわした。それを見ていたTさんが「ズルイ」と言ったので私は「じゃあみんなとしよう」と言い、ちょうどその場に居合わせた男性スタッフばかり5人とハグすることになった。こんなに気分が高揚することは先ずなかった。昔一度、インド音楽を習っていた頃に、インド人の先生の大阪でのlive時、ものすごく感動して演奏者全員(男も女もいた)の頬っぺたにキスの嵐をやったことがある。その中の日本人男性がいきなり正面 向いて、その口元にキスして冷めた。音楽はシャブ。そして料理もシャブだ。 そしてハグ後、打ち上げ会場へ…。これから先、もっと世の中へ出ていく、つまりメジャー化するために何をするとよいのかの話になった。 それはもっと私の人生にドラマティックな物語が必要だと。例えば「耳が聞こえなくなる」「ガンになる」「極貧」etc。「Aricoさんは今までどんな人生だったの。例えば恋愛は」 「もうドロドロ状態で一杯やってますってっ」と話しても全然ドラマティックではないらしい。で「心中未遂くらい起こさないと。んでどっちか死んじゃたら面 白いよね」ってみんなで大笑いしてお開きとなった。 まっ、言われてるうちが花ですから。でも、何でそんなネガティブなドラマしか出てこないのか。マイナー系の映画大好きな地味なピアノ教師が、少しずつ努力して、ゆっくりゆっくり活動を続けてそのうち出会いがあって…ではダメですか?
とにかく益々人生オモロクなってきた。居直りつつ、どないしようの日々。

 

032 06.06月
 豆ごはんに目がない。
特に緑っぽくなる程タップリの豆ばかりごはんは、最高に贅沢な気分。
炊けた時の香りが最高に好き!口に含むと甘くて頬はゆるむ。
相変わらず安上がりなヤツです。
「豆ごはん炊けたよ」と聞けばどこへでも飛んで行きたくなる。
塩加減もそこそこ自分でうまく炊ける様になった現在、豆ごはんのもと、ウスイエンドウを店で見つけると、目の色が変わる。食の世界はひたすら楽しい。

今年のマイブームは、味噌汁で始まった。
忙しくしていた、2月のある日、京都駅地下街「ポルタ」の一角で、丹後地方の物産展をやっていた。そこでものすごく新鮮なピッカピカの銀色に輝く煮干しが目に飛び込んできた。 今年1月からliveが増えてかなり過密スケジュール続きで、外食が増えていたその頃「そうだ、これでおみそ汁を作ろう!」と瞬間ひらめいたのだった。

 東京の友人、薫ん家に泊まった時、作ってくれたおみそ汁の具の中に大きめの煮干しがそのままゴロゴロと入っていた。 それは初めてのことでちょっとびっくりした。
薫は「おいしいし、カルシウムも摂れるからさっ」それは野性味あふれていて、とてもおいしかった。
そして急に元気が体の底からムクムク湧いてきた様に感じた。
 丹後産煮干しは200g入りで500円。たったワンコインで速効で体がしゃん!とする気がしてきて即決! 近くの「伊勢丹」デパート地下2階で、オーガニックのじゃがいも、たまねぎの小2袋で煮干し代金を軽く越えた。
オーガニック、無農薬有機栽培よりもっと惹かれるのは野生、自生類。
 勝手にそこに生えてるものが一番パワフルでアクすらもおいしさの一部の様に思う。

 2月から始まった味噌汁ブームは今も続き、だしは昆布+小さめの煮干しを丸ごと入れる。 時々頭と腹ワタを取り除くけれど、煮ると甘くなる野菜、さつまいもやかぼちゃ、たまねぎなど入れる時やトン汁を作る時、ごぼうが入る時は必ず全部入れる。野菜の甘さと煮干し全体の苦みが合わさってほんとに美味しいのだ。 味噌は先ず岡崎の八丁味噌。
 わたくし岐阜生まれではございますが、小学校1年から週1回ピアノのレッスンで名古屋市東区徳川園近辺の先生宅へ通 い、星ヶ丘にある菊里高校の音楽科へ入学。そして長年築いた名古屋人の友人関係は八丁味噌より濃い。知らないうちに味覚がほぼ名古屋系?に吸収合併。
時々あの辛いメチャクチャアルデンテの味噌煮込みうどんが無性に欲しくなる体質だぎゃあ。
「京都の白味噌はタルイデカンテー」※注訳〜白味噌だけだと刺激が足りないのです。 京都自宅の冷蔵庫には、八丁味噌、少し甘めの信州味噌、京都の白味噌と出来るだけオーガニックな素材で3種類が頑張っている。
 白和えは、白味噌をよく使うし、ぶた肉のしょうが焼きに少し八丁味噌を味醂で焦がしたり。ドレッシングは今、信州味噌+豆板醤+ごま油ベースの中華っぽい味にハマっている。 おみそ汁は、八丁味噌と信州味噌の合わせが多い。最近は煮干し+昆布だしに生姜をすって毎回入れている。 アッ、ゆず胡椒もほんの少々効かせるけんね。今の季節ラディッシュとだいこんの抜き菜の具がサイコーです。さっと火を通 すだけ。 シャキシャキ感が大切で緑と赤が鮮やか!岐阜実家の庭産です。食いモンの話が一番アツク語れるとです。かなりヤバイと。

 大学生の頃から自炊生活、知らんうちに年季ば入っとったとです。
ごく最近はラディッシュが主役の「ラディッシュピラフ」が旬真っ盛り!虫食いだらけをよく
洗いサッと湯がいて細かく刻み、ニンニク+オリーブオイルで、ハーブ入りソーセージの塩味とゆず胡椒少々で頂きますっと!

 
 現在7月12日に始まる羽良多平吉個展の会場音楽制作、live活動でまた段々忙しくなってきている。
作業や楽器練習の気分転換に料理は程よい。これで早寝早起きが出来れば、完ペキに近い?!と言える様な気もするけれど、そればかりは相変わらずの暮らしぶり。 それにしても自作ごはん&おかずがこんなに自分に元気をくれるなんて最近のチトウレシイ驚きだった。 この調子でハードな夏を乗り切らなカンワッ!



031 06.05月

 友達夫婦と約10年ぶりに京都で再会。10年なんてほんっっとに短い。

奥さんの希代佳とは東京での音大時代、同じピアノ科だった。授業を抜けては、昼間から近くのJAZZ喫茶「プアハウス」で紫煙に包まれて無為な時間を一緒に過ごしていた。一杯話した言葉は何一つ覚えていない。思い出すのは煙草が似合う彼女のキレイな横顔。 ビルエヴァンスの断片。濃くいれた珈琲の香り。 彼女の夫の多田さんもその頃からのおつき合いだ。 彼はミュージシャンでボーカリスト。いつもカッコ良い人だった。当時私がよくはいていたフォレスストグリーン色、スウェードと表皮コンビウェスタンブーツ。 池袋西武のイヴ・サンローラン・リヴゴーシュ店でどうしても欲しくてかなり無理して購入したお気に入り。 それを彼にほめてもらって嬉しかったことを覚えている。
横浜に住んでいた多田さんを希代佳と訪ねて3人で、いかにも“ハマ”にしか存在しないって雰囲気のBarを何軒もハシゴして、明け方彼のアパートへ。私が一番ヘベレケの酔っ払いで 「ここで寝る!」と宣言してあとはソファで泥酔…。若い2人には完全にオジャマ虫野郎、昼頃ノソノソと起き上がる。
そしてその玄関に見たこともない紫、黄緑、ヘビ皮のショートブーツ。
それで目が覚めたのだった…。
当時の私自身の恋。いつも非現実的な世界でフワフワ遊んでいたかった。
多田夫妻の様な関係を築けないままに、天国と地獄を何度も繰り返しては…。
私の話は長くなるのでやめておこうっと。

今回の京都旅行は彼らの結婚二十周年の記念だった。 そんな大切な節目にまたしても私はタップリとオジャマ虫してしまったのだ。
多田夫妻は5月9日に京都入り。
ピアノレッスンの仕事後、夕方から北大路で待ち合わせた。実は2、3日前からどこかソワソワドキドキしていた。だって10年ぶりに会うのだ。2人の姿を雑踏の中で見つけた時、嬉しさがこみ上げてきて、ほんの一瞬泣きそうになる。 2人は一枚の絵になっていた。 20年の歳月で彼らをとりまく空気は更にやさしく、穏やかなものになっていた。
その晩は先斗町。個室ですき焼き三昧。そしてその後祇園界隈をそぞろ歩く。白川沿いの石畳に一力茶屋。 3人でひたすら歩く…。
翌日、昼過ぎから、清水坂にある創業300年の湯豆腐屋へ。 あいにくの雨だったが、お庭の緑が美しく、とても静かで長閑だった。
昨日のお肉に続いてお豆腐三昧に舌鼓。
言葉なんかいらない特別な時間が遡っていった。

夜は下鴨にあるBar「伊万里」のいつもの部屋でプライヴェートなライヴをした。今回も全て多田さんに御馳走して頂いて、私に出来ることはピアノを弾くことしかなかったし、心から聞いて欲しいと思った。 彼らの20年をピアノでお祝いしたかった。

大学を卒業後、それぞれがバラバラになり、私は京都で、そして2人は結婚して横浜で生活を始めた。 彼女は子供を育てながらピアノを教え、多田さんは生活のためにプロミュージシャンの夢から離れた。いくつかの職を経て今は横浜近辺で2軒音楽スタジオ(STUDIO24 藤沢店町田店)経営。音楽の現場で若手を育てながら長年地元で築いてきたミュージシャン仲間で時々自身もライヴを開催して舞台に立っている。音楽のキャリアが凄いのだ。
例えば、コカ・コーラCMのクレージーケンバンドの横山剣さんも昔からの仲間の一人だそう。音楽カンケーの話になると熱くて止まらない。 …かくして懐かしいメンバー3人で京都の夜は更けてゆくのでした。


ピアノの音以外に私のささやかなプレゼントは京都・松屋長崎の「マドレーヌ」。 平和な存在。そしてフレッシュな香りがした。
その味わいは今回の出会いと、学生時代の思い出に重なり、私には特別 なお菓子になった。

そして今後は、
天国と地獄の世界から脱皮して、チトウレシ。
あるいはチトキモチヨカ。
省エネルギーで回っていこうとチト思った。


030 06.04月

 3月末から久しぶりに引いた風邪が長引く。きっかけはピアノの生徒の誘いでhip hopダンス教室を 見学した時、ひどく寒い日だったこと。

そこはかなりの熱気に包まれていた。10代20代前半のboy&girlがTシャツ&ノースリーブで軽やかに、 同時にハードな動きで踊っている。 私はトレンチコートの衿を立てて熱いビートに体は踊り出しそうな気分をひたすら抑え込んで、コンクリートで地下室の湿った冷気に震えながら彼らの動きと音の関係性を観察して時間はあっという間に過ぎていった。

 帰りの空模様はすでに小雪交じりで風が強く、電車を待ちながら次第にのどの違和感が強まる。 しかし帰って、熱めのお風呂にゆっくり温まればすぐに良くなるとその時は信じ込んでいた。 翌日は夕方までおとなしくしていたが、夜は下鴨にあるBar「伊万里」に用があったので、できるだけ沢山重ね着スタイルにロングブーツで家を出た。「伊万里」にはピアノの生徒、実千代ちゃんはじめフレッシュで可愛い女の子たち。 マスターはいつも渋くて、いつも綺麗なママにほっとする。 ゆったりとしたカウンターにピアノのある個室。ここでプライヴェートなライヴを何度させて頂いたことだろう。今夜はちょっと風邪気味だと伝えて、ベリー系の熱いハーブティーにハチミツで温まる。そして早めに失礼して足湯をして寝た。
次の日起きて、息が早いことに気付く。久しぶりの発熱。う〜ん、1月、2月のツケがこれ?と思い、また横になりひたすら寝る。かなり熱が高そうだけど薬類は何も常備していない。
体温計すらどこにあったか覚えがない。ちょっとその辺りを捜してみるけれど、たまにお湯に溶かして飲むカッコン湯もなくなっていた。 「あ〜あ、寝るしかないということか」で、ただひたすら眠りこける。幸い寝ていられる時間があった。 そんな時体は全て知っているのかもしれないと思う。

4月に入り熱は下がったが、嗅覚が戻ってこない。見た目においしそうな食べ物も、香りがないとなんと味気ないことだろうか。いい匂いも嫌いな匂いも解らない状態は久しぶりのことで、嗅覚の大切さを強く感じた。

4月5日、東京晴海トリトンスクエアlive。
東京でのライヴが増えて気付いたこと。京都や岐阜より確実にストレスを多く抱えた人が多い。全体的の人口も多いから当然といえばそうなんだけれど、とにかく様々なリズム、歩くことや話すこと、食べること…速すぎるように思う。
そんな中でアロマ(植物の香り)を使ったliveを聞きたいという声が聞こえて来た。もとはと言えば、市販の香水(合成香料)が苦手だったので、何かの本で植物100%のオイルを見つけて取り寄せ始めて気付くと100種類くらい集めてた。1980年代後半頃の話で、同時期に植物の香りに関する専門書も「フレグランスジャーナル社」といういかにも香りの出版社らしい会社を中心に何冊も取り寄せた。ジャン・バルネ博士の「植物=芳香療法」ロバート・ティスランド「アロマテラピー」「メッセゲ氏の薬草療法」「アロ−マ・匂いの文化史」「香粧品の植物科学」「精油安全性データマニュアル」「ハーバリズムのすすめ」などなど…。
当時夢中で読み耽った。かなり専門的な言葉で書かれた文章が、私には一片の詩の様に感じられたから。
例えば、「植物ホルモンと若干のエストロゲン的作用」「フェンネルとローズマリーのエッセンスは動物を臆病にするが、ニガヨモギ、ヒソップ、サルビアの各エッセンスは動物を攻撃的にする」黒澤路可編〜香りの事典より「ambergris・竜涎香(りゅうぜんこう)まっこうくじらの腸内結石。動物臭の一種。乾燥したものをアルコールに溶解。高級調合香料の保留剤として使用される。鯨から直接採取したものは強い糞臭があるが、時を経て熟成されると、海藻に似た、ウッディ、モッシィな匂い。ややメタリックで、ナッツのような汗臭いニュアンスがあり、人の髪を思わせる独特の甘いドライなアンダートーンがある」とか…。
鼻の奥でいろんな想像を膨らませながら、100種の植物エッセンシャルオイルを自分で一滴また一滴とブルーのガラス製スポイトで夜な夜なブレンドして、完全にラリってました。(懐かしいヒビキだゼ)・・・んで側のピアノで即興演奏していたらもっと気分が上々だったので、そのノリでライヴに香りを使ってみたらやはり好評だった。
覚えているのは1991年から200〜300人のお客さんの前で、様々なホテルの宴会場などで
「Aroma・noon」と題してliveした。
京都の小さなカフェギャラリースペースで「カオルオト」と題して香りの個展&ライヴも開催した。オリジナルな香りを様々なドライハーブにプラスして、アンティークな机の引き出しの中に小さな香りの世界を作った。毎日出かけていって香りを変化させ、それに合わせて即興演奏した。今から思うと贅沢なひととき!
それからしばらくして世の中に「アロマテラピー」という言葉がポツリポツリ出始めた頃、自分のその演奏スタイルがだんだん不自然なことに感じられ、そのスタイルから離れていった。
植物100%のエッセンシャルオイルといっても、その存在は自然なものではない。
様々な抽出方法で、大量に刈り取った植物の凝縮されたもので、完全に薬物なのだ。 自然の中で嗅ぐ花や樹木・草や実…それこそ最も大切なことだ。
一時のめりこんで感じたことだった。

そして瞬く間に15年が過ぎた。
あれから様々な体験を経て、より軽く、より徴かな香りと音楽のひそやかな出会い。

それは6月16日金曜日、
東京恵比寿「art cafe1107」liveで始まります。



029 06.3月

 1月2月と夢中でツッ走って来て 、顔を上げるとそこは春の色に溢れていた。

 今年新たにスタートしたライヴ活動のリズムがなかなか掴めなくて右往左往。
京都で生活していてもどこか心ここにあらずで、東京でのliveを含めた非日常の時間に無意識に縛られていたのが、3月に入るとさすがに解けて落ち着いて来た。

2月コラムでお知らせした伊東若冲のイベント。それは京都造形芸術大学、宮本亜門プロジェクトの一環で催された。 亜門先生とその学生たちのコミュニケーションは楽し気で活気に満ちていて、元気を一杯頂いた。

 2月24日夕方、新風館で予定通 り宮本亜門×Aricoトークショー。 先ず、「Song for Jaktyu」という新曲を弾いた。そして全く想定外の質問で始まった。
「若冲とAricoの共通点は何ですか?」 亜門さんも無茶言わはりまっせ。不意をつかれて放った言葉が「アホなところです」 何故かそれしか出て来まへんどした。そうすると今度はその言葉に自分が囚われの身となってしもて、 それからはもう他の言葉が全然浮かばへん。もちろん亜門さんは自在どす。柔らかな考えと発想のプロ中のプロどす。 反対にワチキはアタマが動脈硬化状態のままちっとも働きまへん。後半もういっぺん共通 点聞かれた時にも今度は「大馬鹿なところです」言うてしもたんにゃわっ。
若冲はん、御免しておくれやす!おもろうてやがて悲しき…


演出家としての亜門さんの貴重なお話。それは舞台を創っていく過程で最高に良いものが出来たというところまで創り上げても、初日が開くと今度は最低のものを作ってしまったという気持ちで一杯になって毎回苦しむと。30m見えていた客観性がいきなり3Km先になり…。
だからこそ今も続けていられるという厳しい循環。 私も、この小さなこの胸の内の世界で、
「あ〜 サイコーにいい曲が出来た」と思った次の瞬間何かのきっかけで「も〜 最悪!こんなん二度と弾かへん!」天国から地獄への暗転は、今まで何度味わったことだろう。 恋愛の話チャイますよ。 しかし、いつからかこのキツイ状態にも慣れて「またやん」と今は思えるし、どこか笑っている自分がいる。そんな時ヒトは成長するんだなと思える。 で、こんな風に自分でも極端に行ったり来たりすると亜門さんに伝えたら 「お互いすごく似ているよね」と言われ、何だかほっと安心した。
続けて「Aricoさんは何故今までピアノを弾いてきたの?」 その問いかけに、ピアノが弾きたかったからというより、弾くしかなかったし、そういう生き方しか出来なかったからと答えながら今まで過ごしてきた時間が一瞬一枚の俯瞰図に感じられた。
 トーク終了後、若冲が眠る京都深草にある「石峰寺」を訪ねた。 プロジェクトの一環で学生の作品が展示され、山の中腹にある若冲作の五百羅漢石像は適度にライトアップしていた。
絵とは全く異なる世界が拡がっていてまた来たくなる場所。
よくよくお参りいたしました。

  3月26日、東京汐留パークホテルlive。この界隈は100%オフィス街で日曜日にliveをしても集客がかなり厳しいという現実が2月、3月の日曜日に続けてliveで見えて来た。
それにしてもどこか夢の様で不思議な静けさの在る場所。25階live会場Barの窓からは、先ず浮遊感に満ちた高層ビル郡が目に飛び込んで来るけれど、この日は少し様子が違った。
浜離宮庭園の咲き始めた桜の淡いピンク色、そして鮮やかな菜の花の黄色に視線を奪われた。季節感からか遠い25階のBar。
美しい夕焼けの薄日さすほの明るさと暗さの交じった優美な場所で、眼下に溢れた色彩 に導かれるようにliveは始まった。

新たな出会い、懐かしい顔に心が動き出す。
只今気持ちにも余裕が生まれて、気分は上々の春です。


028 06.2月
 なんでこんなに寒いのかなぁ〜という日々がまだ続いています。
 只今、久しぶりにボケ〜っとしています。いやいつもかもね。 極端に集中を強いた1月だったので、今正反対の状態になってバランスをとっているのかな?

 2月はなかなか、スンゴイ方々とのコラヴォレーションが続く。2月20日発売音楽雑誌「ショパン」であの江國香織さんと対談しています。少し前パークホテル東京25FのRestaurants & Bar バル ア ヴァン タテルヨシノで久しぶりにお会いした。 窓から見える景色が、海、東京タワー、IT産業関連ビルなど、いくつもの島の様に浮かんで、それは不可思議で世にも美しい夢の中の様な感じ。「ここはどこ?あたしはだれ?」の気分になれる場所。
 そうそう2月26日、こちらでライヴします。対談までに少し時間があったので、CD「ときあかり」から「hinemosu…」をBarの奥に大切に置かれているピアノで弾いた。「いつも家で聞いてるから、家にいるみたい」と江國さん。あのウェハースの様な繊細な微笑みと私のピアノの音でゆっくり対談は始まった。
 江國さんの小説に感じる甘さと辛さの危ういバランス。それがあの煙るような甘美な世界を形成している。御本人もどこかミントキャンデーの様な雰囲気で、私が男だったら間違いなく恋に落ちちゃってる。どこまでも「女」、いやいや「江國香織」を生き抜いている感じが凄くカッコイイのだ。1時間30分程の対談は瞬く間に過ぎて帰り道、一人になった途端に淋しさで泣きそうになっている子供のような自分に出会った。
 2月20日発売「ショパン」ぜひ御一読ください!

 2月24日、1月に続いてまた新風館のイベントにお呼び頂くことになった。 きっかけは1月26日、生け花とのコラヴォレーションライヴの打ち合わせの際の私の発言で、生け花作家で誰に興味があるのと聞かれ「中川幸夫」と答えたこと。 「美だか醜悪だか、ギリギリのところに我を忘れて一人で挑戦し続けてる姿勢に、まず心を打たれてます。私は特別 美しいと感じています」と…。
 打ち合わせ後「Aricoさん、伊藤若冲好きでしょ?」と新風館の佐々木さん。 2月24日、宮本亜門プロデュースで京都出身の画家「伊藤若冲」のイベントをするので参加しませんかということになった。
  若冲も大好きだし、亜門さんにもお会いしたいと思っていたので即「はい、参加しま〜す」と調子良く答えていた。冷静に考えると、それはソラ恐ろしき事かと。 けれども演ってみることにした。気は弱いところが一杯あるくせに、勇気もある?というより「アホ」なのです。
 で、そんな風に調子良く返答した後、いつも自分に「大丈夫なん?」と問う月日がこのところ続いています。 だからそれなりのストレスももちろんあり。ダドモ自分で選んだ人生さ!でカタをつけてきた次第でございます。こんなにも真面 目に生きて来てるのに、ウチのことをホンマモンの不良ヤと言わはった男はんもいるのんどす。友だちにも「アンタの人生オモロ過ぎるワ」と言われ、かなりどこか居直りツツある日々が過ぎていく…。 んでボチボチ伊藤若冲の世界でライヴてどんなんかいな? 亜門はんとトークショーってどないする?ってな感じやけど、精一杯ツトメさせて頂きますさかいに。
 ギョーサンお客はんおこしやっしゃ! 24日金曜日18時スタート!

2/24 新風館のイベントについて(Arico活動予定)

  気付いたら、鳥の鳴き声はもう春だった。そしてその世界こそが若冲に続くんだろうって漠然と思った。



027 06.1月

 年が明けてみると、新しい年は更にワクワク&刺激に満ちていた。 この1月、2月とほぼ毎週Liveか、ラジオ番組出演etcで上京している。 その流れは、去年「ときあかり」レコーディング後の10月から始まっていた。 最近回りの友だちは「メチャクチャ忙しくなってきたね」と言うけれど、 まだあまりその実感がないまま時間がどんどん過ぎていく。 5年や10年はすぐ経ってしまうのは百も承知の今だから、前だけ見て体調に注意して、 この一年熱い気持ちで1つ1つ楽しんでいきたい。

1月13日、東急広尾のSMPLabギャラリーで夜7:30よりLive当日。 その前の時間、新宿紀の国屋ビル2FのCDショップ「ミュージック・テイト」と、 高田馬場ムトウ楽器ジャス&クラシック店へ、新年のごあいさつ回り。 私の「ときあかり」はヒーリング系、ジャス系の試聴できる売り場に置かれていて、嬉しさが静かにこみ上げる。 今回の二店舗はいかにも「老舗」的店構えで、いたる所に愛情が感じられる空間だった。 この日の東京もとっても寒い日だったが、気持ちが暖まっていくのを感じた。

 その後、SMPギャラリーへ移動。その前に広尾の商店街で軽く温かいお蕎麦でもと、お店を探して一軒見つけたが、閉まっていた。 かわりに中華屋さんで「みそラーメン」!体がどんどん暖まるのがわかった。そしてイザ出陣!?SMPギャラリーオーナーの松浦さんは同世代の素敵な方だ。20代でニューヨークに渡り「ショールーム」を持ち、毎月東京とニューヨーク1往復と聞いて、単純に憧れる。「Aricoはニューヨークが似合うよ」とは、昔から何人もの友だちから聞いた台詞。 しかしトホホ・・・。
一度も行ってないよ〜 必ず近い将来、Liveでニューヨーク!って密かに誓っているのだ。

 古田菜穂子と松浦さんが「東京ビッグサイト」で運命的といえる出会いをしている。
あの半端じゃない広い会場の一角で、様々な「和紙作品」をプロデュースして出品していた菜穂子のところへ、松浦さんがまっすぐ映画「モーゼの十戒」の海のシーンの様に歩いて来て
「あなたのブースの商品は光ってる。素晴らしい!」二人はすぐ友だちになった。
私が菜穂子に出会ったのは1998年、岐阜のイベントで、松岡正剛さんに「多分二人は感覚的に合うよ」と紹介して頂いたのが、最初の縁だった。 会ったそばから、もっと昔から知ってた感じがあって、すぐ意気投合した。 それ以来、彼女はずっとその時々の絶妙な間合いで、
軽やかに、時には真剣に私のことを見守ってくれる心強い存在だ。 彼女の経歴は凄い。 作家だった頃、そして数々の映画のプロデューサーだった頃。 なのにどんな小さな仕事でも、いつも一生懸命の彼女にはいつも頭が下がる。 気付くとこの5年程、一番彼女に甘えて来たのだった。 だからか時々、私は多分とんでもなくキツイことを彼女に言ったりしている。 彼女はやんわりと「Aricoは何の心配もなく、いつもピアノだけに向かい合える人生だといいよね」と彼女独特の柔らかい声でのたまう。 私はまたそこでコウベをたれる。
彼女が書いてくれたCD「ときあかり」に対するメッセージぜひ御一読あれ!泣けたよ〜です。

 そうそう1月13日、SMPギャラリーでのLiveは楽しかったし、深く味わえた。 お陰様でCDも沢山お買い上げ頂き、続いてサイン会も少し慣れて来たかも。
 
  1月19日、スカイパーフェクトTVのラジオ局「STAR digio」収録におジャマ。 ラジオ出演も去年の京都ラジオカフェに始まり、FM京都…と段々慣れてきて、最近は妙にハイな気分で多分しゃべり過ぎている。DJ牧野さんはじめスタッフみんなで、30分間盛り上げて頂きました。ヤバイです。

 1月26日、京都新風館5周年記念イベントの一環で、「嵯峨御流」という生け花の家元、山田先生と私の音楽のコラヴォレーション。本番は「間」がむつかしかった。それも生ものということで、次々と美しく活けられる花の精に酔い痴れて、一期一会の演奏は心地良かった。関西の人気DJで司会のキヨピーさんが、途中手を暖めて下さって一瞬ほっこり。
ソロ2曲も極寒の中、無事演奏を終了。 その後、友人たちと新風館3Fのラーメン、ぎょうざで急いで乾杯! 最終の「のぞみ」に飛び乗り、 翌朝のFM東京出演のため上京。なんかミュージシャンっぽくなって来たゼ!

 1月27日、朝5時に目覚める。1時間少々しか眠ってないけどそうは言っていられない。朝早くから京都の「ナチュラルハウス」で入手していた、固形のオニオンスープとお土産で頂いたパンで朝食。 動く前に食べることはとっても大切。沢山はいらないが、少しでも良いので体の中心を暖めておく。 7時30分、FM東京のスタジオ入り打ち合わせ。 生出演というのは、だいたい延びる。この日も8時40分から約14分の出演となった。キーボードでの生演奏が約4分+トーク。 DJの七尾藍佳さんはカッコイイ感じで声のトーンが低くて良い。私の生演奏は前日のliveの疲れもあって、ヘッドフォンから流れる音が耳に痛く、気分は最悪。その後またトークで少し元気になる。本番終了後の昼間、ホテルで極楽仮眠。 午後4時30分、JR「恵比寿」駅ビル「アトレ」4F CDショップ「新星堂」へごあいさつ。 2/1〜2/14「バレンタインキャンペーン」で6Fレストラン街で「ときあかり」の音楽が流れるので、こちらでも大きい展開で販売して頂くことになった。 その後、本日のlive会場「Artcafe1107」へ・・・。

 ここはパリのサンジェルマン デ プレにありそうなカフェの風情そのままの場所。
オーナーのすずきさんが、また素敵な雰囲気。以前あのエンニォモリコーネと仕事をしたそうだ。 壁には、彼が長年収集した様々なリトグラフetcがかかっている。
 私の好きなジャン コクトー、金子國義に目がいく。リハの時間、空気がだんだん濃くなっていくのが解る。 多分初めてになる、東京での本格的なliveが7時に始まった〜。
大学時代からの友人、カオルが1部終了して「Arico、カタイよ!いつもしゃべる様に話せばいいんだからさ!」って無理だっそんなのです。
 でも、2部の始めに、友人にそう言われた話をして少し楽になった。
ピアノを弾くのは、トークよりまだずっとましだ。でも、音楽の一要素としてのトークは、
もっと楽しみたい。お出で頂いた守崎さん、以前のマネージャー吉田さん、いつも応援してくれているりえもも・・・。 愛子さん。口は悪いけどほんとは優しい大迫さん。昔からの友だちたち・・・。書き切れなくて本当にごめんなさい!
 一時はどうなることかっていうくらい客の入りを心配しましたが、なんとかいろいろな意味で無事終了です。live後に打ち上げ!ここでまたいろいろと今後のことや反省会をしました。みんなやさしい人たちだ。
 live後のお酒は美味しい。最近少量の日本酒の美味しさが身に沁みるようになった。

今年はハード&ワクワクドキドキの一年になりそうです。 どうぞお手やわらかに。


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